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2011年8月18日投稿
霊たちが聞きに来た声 【訃報 二葉あき子】
二葉あき子死去、96歳。
子供の頃、家に『フランチェスカの鐘』のレコードがあり、ジャケットも
とれた古いものだったが、聞いて
「なんてきれいな歌なんだろう」
と思っていた。
ところが後に別の場所で歌詞(菊田一夫)を見て、その言葉選びの通俗と
いうか格調の低いことに驚いた。
「さよならバイバイ 言っただけなのに」
はいくら時代が昭和23年でもないだろう、という感じだし、鐘の音の
表現が
「チンカラカン」
は安っぽすぎる。最初から歌詞を読みながら聞いていたら、アホらし、
と投げ捨てたかもしれない。レコードから流れる歌声だけで聞いたから、
感動できたのである。それほどパワーのある声だった。
http://www.youtube.com/watch?v=VCkuYZ76I0Y&feature=player_embedded
東京音楽学校(現・東京芸大音楽科)卒。
在学中からそのソプラノの声質には定評があり、後にその高音が
出せなくなったときは自殺をはかったほどだった。歌うことと自分の存在が
完全に一体化していたのだろう。服部良一らが、低音で彼女の魅力が出せる
歌を提供して、再びステージに立つ。われわれが知っているのはそれ以降
の二葉あき子であり、その歌にかける努力の凄まじさには感動せざるを得ない。
しかし、戦前の、高音部を自在に出している時期のレコードを聞くと、
まるで別人という感じであり、戦前の録音技術が大したことのないレコード
ですらそうなのだから、生でステージを聞いた者は、まずその声にとらわれて
しまったことだろう。高木東六などは死ぬまで、あの声が失われたことを
惜しんでいたという。
http://www.youtube.com/watch?v=vf-K5Qt1T-s&feature=player_embedded
昭和11年吹き込み、中野忠晴とデュエットの『二人のアルバム』。
http://www.youtube.com/watch?v=0QzDzKZXYO0&feature=player_embedded
昭和16年吹き込み、作詞サトウハチロー『青い星』
広島出身で、ちょうど原爆の投下のとき、帰省していた。
投下の瞬間に偶然にも乗っていた汽車がトンネルに入り、直接被曝を避け
ることが出来て一命をとりとめた。もちろん、大量の放射線を浴びて被曝は
したが、それでも96歳まで長寿を保った。
戦後、ステージで歌っていると、同郷の友人知人たちの姿が客席に見え、
「あ、聞きにきてくれたんだ、うれしいわ」
と思い、ショーが終ったあと探しても彼らの姿は見えず、そのときはじめて、
彼らは原爆で命を奪われたのだ、ショーに来られる筈はないのだ、と
思い当たったことが何度もあるという。惨害を受けた故郷を大事にし、
晩年はその故郷に戻って暮していた。
どうか、あちらで高音部も低音部も自在に歌い、同郷の仲間をうんと
楽しませてあげてほしい。
戦後史をまさに彩った声の持ち主に、ご冥福を祈る。