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2011年8月13日投稿

1970年のミューズ 【訃報 日吉ミミ】

「デジタル時計がカタリと変わる」
阿久悠・作詞、中島みゆき・作曲による『世迷い言』
(中島みゆきが歌っているバージョンでは“カタリとデジタル時計が変わる”)。
ああ、今の若い子にはもう、これがわからなくなっている世代がいるかも
しれない。70年代のデジタル時計というのは液晶でなく、数字が描いて
あるフリップがめくれて時間を表す方式(ソラリー式)だったので、
時間が変わるたびに、フリップが落ちるパタリ、カタリという音がしたのだ。

……この、微妙な時代錯誤感覚が日吉ミミの持ち味だったと思う。
最初のヒット曲が1970年の『男と女のお話』(作詞・久仁恭介)。
時代はまだ高度経済成長期ではあったが、そろそろ日本人たちも、自分たち
が崖の上で踊っているだけなのではないか、ということに薄々気がつき
はじめていた時期である。何をするにしても地に足のついていない、奇妙な
感覚の時代であったことを覚えている。

そんな時代に、隕石のようにこの曲は落下してきた。初めて聞いて、その
ユニークな声と歌い方で記憶に強く残り、なかなかいい歌だと思い、
雑誌で何気なく歌詞を確認して驚いた。
アンニュイなメロディ、アンニュイな歌い方から来るイメージとは裏腹の、
失恋した女性をなぐさめ元気づけようという、前向きな歌詞なのだ。
「涙なんかを見せるなよ/恋はおしゃれなゲームだよ」
「スマートに恋をして/気ままに暮していけよ」
などというのは青春歌謡の歌詞にむしろ似合っているだろう。
http://www.uta-net.com/song/999/
↑試みに、上記サイトにある歌詞に、ポップなヤング歌謡的メロディを
乗せてみるといい。最終節を除けば、ぴったり合う。
作曲の水嶋正和と作詞の久仁は、確信犯的に、歌詞と曲がまったくばらばら
の歌を作り、酒場でのいきずりの男女の、身の入らない言葉のやりとり
を表現してみせた。

そして、それは、70年代初頭の、田中角栄の日本列島改造論をはじめと
する、口先のまやかし、その年の暮に割腹自殺した三島由紀夫の、思想と
現実の齟齬を見事に予言していた歌だった……と言ってしまうと
牽強付会に過ぎるだろうが、しかし、時代というものが日吉ミミの存在
と強烈にシンクロしていたことは確かである。

日吉ミミは1970年、という時代のミューズになった。
そして、そのイメージはその後もずっと彼女につきまとったと思う。
70年という年は、あまりに多くのことがあり、他の年とは異った、
屹立したイメージの年だった。その時代のシンボルとして、日吉ミミという
当時23歳の女性のイメージは、固まってしまった。決して遠い時代では
ない。しかし、現代とは全く異る、連続性のない、永遠の“今”の70年。
それは、あの、独特の、真似しようのない日吉ミミの歌唱法の屹立性と
重ね合わされたことと思う。

『男と女のお話』から、次に私が記憶する『世迷い言』まで、9年の歳月
が流れている。歌詞にあるように“世の中変わっている”。しかし、人の心は
変わっても、日吉ミミの個性は全く変わっていなかった。
同じ作詞家でもないのに、“男にふられる”ところも同じだし、“世の中”
という言葉が歌詞にあるところも同じだ。阿久悠、中島みゆきという
二大巨匠が作詞作曲を担当しているにも関わらず(いや、だからか)
コンビネーションがうまくいっておらず、詞が曲に乗らないところ、詞の
ない部分を鼻歌でごまかしているところなどがある。しかし、そこを敢て
手直ししなかったのがこの二人の凄さなのだろう。最後の“ヨノナカバカ
ナノヨ”に収斂される、投げやりな感情が、そのちぐはぐさのおかげで非常に
強調されていた。

そして、このあたりで日吉ミミは時間を止めた。
彼女の存在は、70年代という時期に限定され、それはあたかもフリップ式
デジタル時計のように、少しずつアナクロになっていきながら、しかし
それ故に強烈な個性は褪せることなく、その声、その歌い方、年齢不詳
なその容姿と共に、歌謡界の中に孤立を保っていた。

2000年代になって、ウェールズ出身のダフィーという歌手がイギリスで
デビューして、独特の声と歌い方で話題になったとき、日本の音楽系ブログ
に“イギリスの日吉ミミ”と表現しているところがいくつかあった。他に比べる
ものがなかったのだろう。日吉の独自性がよくわかる。

それ故に、どんなに現役でがんばっても、“まだ元気だった過去の人“という
イメージでとらえられてしまうのは彼女にとっても不本意であったろう。
病床で、来年のデビュー45周年の企画をいろいろ立てていたという。
そう言えば、ウィキペディアではフリップ式(パタパタ式)のデジタル時計
のことを、
「近年では表示機構のユニーク性や1970年代のデザインが再評価されて、
再びインテリア雑貨として用いられることも増えている」
とあった。1970年ファンとして、もう一度、日吉ミミの時代がめぐって
くることを期待していたのだが……。

イメージに縛られると言えば、私はその持ち歌から、てっきり独身を通して
いるのだとばかり思っていた。訃報で知ったが、所属プロダクションの社長
と結婚していたのだった。孤独な暮らしでなかったことをせめてもの慰め
としたい。10日死去、64歳。膵臓ガンはこのごろ多くないだろうか。
ご冥福を祈る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa