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2011年8月8日投稿

存在を証明した男 【訃報 ジョー山中】

7日、肺癌で死去。64歳。
アニメ『あしたのジョー2』でカーロス・リベラの声をアテている。
山中がジャマイカ人とのハーフというところからのイメージによる
キャスティングなのだろう。確かに彼を語るとき、容貌も声も、“日本人
離れしている”というククリで表現されることが多かった。しかし、
ジョー山中自身の眼は、ずっと7歳のとき亡くなった、日本人の母親の方
を向いていたと思う。

施設を転々としながら育つというリアル矢吹丈的な少年時代を過ごし、
3年ほどプロボクサーとして戦った後、ミュージシャンに転向。GSブーム
に乗って活動した後、内田裕也のプロデュースで1970年、ロックバンド
『フラワー・トラベリン・バンド』を結成した。フラワーとついている
のは前身の『内田裕也とフラワーズ』からの流れだが、ベトナム戦争に
反対したヒッピーたちが自らを“フラワー・チルドレン”と称し、“武器より
花を”と唱えたところから来ている。そういう時代だったのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=xwiDGUhoB04&feature=related
↑代表曲『SATORI Part2』。名曲である。
その後80年代にニュー・エイジと称してブームになった東洋指向が顕著で、
もう少し結成時期が遅かったら、世界的に話題になったかもしれない。
時代に突出しすぎたバンドだったといえる。
また、武器より花をどころか、ジョー山中のケンカっぱやさと強さ(なにしろ
プロボクサー出身だ)は有名で、あの安岡力也(キックボクシング出身)を
KOしたこともあるという。

そして1978年、『人間の証明』で、殺される黒人役を演じ、同時に主題歌
を歌って大ヒット。その歌詞は西条八十の詩『麦藁帽子』を山中が英訳した
ものだった。息子と母親の、今はもう途切れてしまった関わりを、幼い頃、風に
飛ばされた麦藁帽子に託したその名詩。制作の角川春樹は、山中が七歳で母を
亡くしたことを知っていて訳と作曲を依頼したのだろうか。あの冒頭の
「ママ、ドゥーユーリメンバー……」
という歌い出しに、その感情全てがこめられていて、しみじみと心に染み
入ったものだった。

日本のロックというものは、基本的に本場の模倣から始まり、ポップスから
演歌まで全てのジャンルを取り入れて出来上がった(いや、まだ完成形では
ないだろう)物体Xみたいなキメラである。ジョー山中がその中で突出して
いたのは、外国人のDNAを持っているという身体的特長(声帯の音域が
3オクターブあったという)と、母親の幻影をずっと追いかけ続けた、
純日本人のハートを持っていた、少なくとも希求し続けてきたからでは
なかったか。

2010年、庭でやったバーベキューの残り火から引火して、鎌倉の自宅が
全焼するという災厄に見舞われた。だが、全てのものが灰になったと思われた
その焼け跡から、たった一枚だけ残っていた母親の写真が、焼けずに出てきた
という。死の床にも、その写真は飾られていたことだろう。神はいるのかも
しれない、とふと感じるエピソードである。

黒歴史的には、1992年、バブルの象徴のような、東京ドームを借り切って
行われた映画『8マン〜すべての寂しい夜のために』の試写(全く人が
入らず、伝説の大失敗となった)の会場で、キャロル・キングのカバーを
歌ったのを私は最前列で観ている。後から聞いた話では口パクであったそうだ。
まじめに歌う気すら失せていたのかもしれない。人間とロボットの間で
アイデンティティに悩むエイトマンは、ジョー山中にある意味ぴったりの
テーマだったと思うのだが。

人間のアイデンティティは、国籍、家庭環境などにより形成されていく。
しかし不思議なことに、それらの環境を事情により得られなかった者たち
の方に、より強烈なアイデンティティ(存在の証明)を感じる場合が多い。
世界に目を向けながら、最後まで自分を日本人として認識していたであろう
ジョー山中という存在を、われわれアイデンティティ不確定な日本人たち
は誇っていいと思う。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa