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2011年8月7日投稿
命を拾った男 【訃報 前田武彦】
1970年のミュージカル映画『恋の大冒険』(羽仁進監督)で、
「悪役のいない映画なんて……」
と歌いながら、自分の惚れているモデル(由紀さおり)の写真を
日本中からかっさらって部屋中に張りまくっていたこの映画の中の悪役、
迷竹(マイタケ)ラーメンの社長を楽しそうに演じていた。
この迷竹ラーメン、折りからのインスタントラーメンブームで大増産を
続けているが、その秘密は、田舎から集団就職で上京してきた女の子たちに
毎夜、催眠学習テープを聞かせて、会社に忠誠を尽くすよう洗脳して
しまうことにあった。その、テープを流す部屋はいくつもモニターが
並んでいて、社員寮を監視できる。そのスイッチをいじくっていると、
突然テレビに切り替わり、芳村真理が出てくる。それを見て社長、スイッチを
切り替えて
「やめよう、これはつまらん」
もちろん、『夜のヒットスタジオ』で前田武彦・芳村真理のコンビが
毒舌トークで売れに売れていた頃である。見事な楽屋オチだった。
その『夜ヒット』での、
「共産党バンザイ」
事件があって彼がテレビから全く姿を消すのはそれから三年後。
このバンザイ自体は見ていないのだが、当時の状況を書いた証言によると、
別に共産党候補の名前を上げてバンザイと言った訳ではなく、エンディング
まぎわに、最後に歌った歌手に“バンザーイ”とオフマイクで言っただけで、
言われた歌手(『東京ロマンチカ』の三条正人)も、何だかわからず、それに
応じてバンザイを返したという。ところが、その後、その共産党議員
(イベントにゲストで招いた前田氏が、リップサービスで“当選したら
番組でバンザイをしますよ”と言った)が感激してその約束のことを
マスコミにしゃべり、それを耳にしたフジの鹿内社長が激怒した、という
ことだったようだ。草創期のNHKテレビに放送作家として入ってから、
前田氏にとってテレビの世界は自分と同一化していたところであったろう。
自分のことをテレビの申し子、という認識でいたかもしれない。その自分が
テレビの一言で職を失うことになる。テレビはすでに、前田武彦個人の思いを
はるかに超えた怪物に成長していたのである。
ちなみに、前田武彦が降りた『夜ヒット』の後、しばらくの空白を経て
引き継いで司会を務めたのは三波伸介。その前に、『笑点』の司会も三波
は前武から引き継いでおり、不思議な因縁があったといえる。『笑点』
の司会を前田が降りたのは、レギュラーを何本も抱えて多忙を極めていた
ため。三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった筈だが、律義に司会を
務め、結局のところ心臓をやられて(解離性大動脈瘤破裂)52歳の働き
盛りで死亡する。前田武彦が82の長寿を保ったのは、ひょっとして、
あそこでテレビタレントとしての多忙から解放されたためかもしれない。
テレビから遠ざかっていた時期、彼は市川崑の映画『吾輩は猫である』
(1975)に出演している。顔見せ程度の出演だったが、演じたのは
哲学者・八木独仙。この当時、このキャスティングにはちょっと違和感が
あったものだ(苦沙弥先生の仲代達矢、迷亭の伊丹十三などが絶妙な
キャスティングだったのに比べて)。テレビ業界人の(まだその時には
そう思っていた)前田武彦に、「己を無として周囲に従い、逆らうな」と
いう東洋思想を唱える独仙の役を振るのがどうしても理解できなかったのだ。
その後、この時期が前田武彦にとって不遇の時代であったことを知り、
何か、妙に深い配役に思えてきてしまったものである。そう言えば、
三波伸介もこの映画には実業家の金田の役で出演していた。
後に前田氏は『笑アップ! 歌謡大作戦』の銅像役とか、天気予報のキャスター
など、かつてのテレビの帝王から見ると“落ちぶれた”と見られかねない
役で見かけていたが、本人は案外、これも世の中に逆らわない生き方なのだ、
と独仙先生の境地に達していたのかもしれない。もともと、予科練で特攻兵器
『蛟竜』の乗組員として訓練中に終戦となって拾った命だった。
子供時代、私はこの人の作詞した歌を空気のように口ずさんでいた。
言うまでもなく『エイトマン』の主題歌である。平井和正、あるいは
桑田次郎と何か交遊があったのだろうか、同じコンビの作品でソノシート
になっている『超犬リープ』、『エリート』まで作詞している。
あのエイトマンの、堂々とした王道のアニメソング(当時の)感覚と、
テレビでの融通無碍なトークのイメージがどうしても重ならず、同名異人
だと長いこと思い込んでいた。
テレビという業界で生き残るための秘訣は、“顔を使い分ける”ということ
である。前田氏が共産党シンパであったわけではない。テレビという、
雑多な価値観の寄せ集めであるメディアに関わっている以上、そのとき
そのときの顔を作り、その番組で一番力のあるタレント(と、その思想)
に媚びを売らないと生きていけない。私などはそれが嫌で仕方なかったし、
そこまで顔を作る技術も持ち合わせてはいなかったが、前田武彦氏はそういう、
顔を使い分けてマルチに生きる名人だったと思う。その名人がたった一回、
テレビという魔界の陥穽に墜ちたのがあの「バンザイ」だったのだろう。
『シャボン玉ホリデー』、『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』など、思えば
私はギャグというものをこの人に習ったようなものだった。
8月5日、肺炎で死去。82歳。
良き時代の記憶を新たにすると共に、ご冥福をお祈りする。
R.I.P。