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2011年8月2日投稿
スペース・オペラを読んだ男 【訃報 ロバート・エッチンガー】
アメリカはフロリダに、サスペンデッド・アニメーションという会社がある。
アニメ映画を制作しているスタジオか、と思うところだが、そうではない。
契約している人間(もしくはペット)が死亡するのを待ち、すぐに所定の
施設に遺体を運搬、冷凍保存措置をほどこす会社である。この社名の
アニメーションはダイレクトに、もともとの意味の“生命”を意味している。
そう、死はそれがサスペンデッド(中断)されたということに過ぎないのだ。
終わりではない。決して。
元軍人で作家のロバート・エッチンガー23日死去。92歳。
『クライオニクス(人体冷凍保存)』の父、と呼ばれている。
13歳のとき、ニール・R・ジョーンズのスペースオペラ・シリーズ
『ジェイムスン教授』を読んで、冷凍された主人公の遺体が宇宙人に拾われ、
サイボーグ化されて不死の体になるというストーリィに感銘を受け、
第二次大戦への従軍から帰った後、冷凍睡眠を題材にしたSFを書いて
SF雑誌『スタートリング・ストーリィズ』にそれが掲載された。
普通の人間ならそこで満足するだろうが、エッチンガーの場合、よほどその
冷凍保存というアイデアが性に合っていたのか、かれの脳内でそれは年と共に
大きくなっていき、1962年、人体を冷凍保存することにより、現在の医学
では不治とされる病気も未来で治療が可能になり、不死を獲得できるという
思想を展開した『不死への展望』を自費出版、これが大手出版社ダブルデイ社
の目にとまり、アイザック・アシモフの監修のもとで刊行され、ベストセラー
になることでエッチンガーは一躍、時の人になる。そして、実際に自分が死んだ
ら冷凍保存をしてくれるという契約を結ぶ人が現われ、エッチンガーは死体の
冷凍保存を業務とするクライオニクス研究所を設立するに至る。
サスペンデッド・アニメーションはそこの関連会社なのだ。
さまざまなメディアが人体冷凍保存を取り上げ、同業の会社がいくつも出現し、
それらを統括するクライオニクス協会が発足し、当然のごとくエッチンガーは
そこの初代会長となった。ウディ・アレンの『スリーパー』など、エッチンガー
の思想にインスパイアされたSF映画も数多い。ダン・オバノンの『ダークスター』
や『オースティン・パワーズ』もそうだろう。いや、『2001年宇宙の旅』
だって、ひょっとして。
とはいえ、その道筋は必ずしも順調なものではなかった。遺族は常に、会社
から遺体を取り戻したがって訴訟を起していた。資金不足で冷凍に必要な電力
がまかなえず、クライオニクス社は1979年、保存してあった9体の死体を
溶かしてしまうという事故も起している。それより何より、上記のアイザック・
アシモフはじめロバート・ハインラインら、クライオニクスを指示していた
SF作家たちも、結局自らの死に臨んではその肉体を冷凍保存する道を
選ばなかった。やはり、自分の体を蘇生技術の裏付けもなくカチコチにしたまま、
いつともしれない未来の蘇生技術にゆだねる、というのは、人間としてあまり
愉快な考え方ではないようだ。
そもそもが、カチンコチンに冷凍されてしまっていては脳細胞などが大きく
損傷され、蘇生が可能になったところで記憶や人格が大きく損傷されるだろう、
とアンチ・クライオニクス派の人々は言いつのっていた。しかし、それは
80年代に入り、ナノテクノロジーの分野の発展により新たな援護を得ること
になる。MIT(マサチューセッツ工科大学)のエリック・ドレクスラーらが、
ナノテクノロジーを使えば冷凍により損傷した細胞の修復が可能、と唱えた
からである。これにより、一時過去のものになりつつあったクライオニクスが
また、マスコミの言の葉に上るようになった。
21世紀を迎えた現在もなお、死はいまだ科学の分野の取り扱うところとは
ならず、宗教と人間の感情がその扱いを独占している。エッチンガーの
クライオニクス思想はあまりに大ざっぱすぎるアイデアであって、万民の
同意が得られるものではなかったが、しかしその粗雑さが、逆に強い
インパクトを与え、死の克服という人類の大きなテーマに、波紋を呼ぶ
一石を投じたという意味あいは確かに持っていると思う。
クライオニクス研究所は現在、エッチンガーの息子たちにより運営されて
おり、エッチンガーは当然のことながら、その死により、そこの106人目
の契約クライアントとして死体を冷凍保存された。
冷凍保存による不死が実際に可能なものかどうかはさておくとして、それは、
その概念を信ずるものにとって、死への恐怖を大いに軽減させる効果を有する。
ただ、死というものは大いなる恐怖であると同時に、この世の中で我が身に
からまる全ての悶着からの、究極の逃避をも意味する。古来、いかに多くの
人間が死に逃げ込むことでさまざまなトラブルを回避してきたことか。
エッチンガーには、二人の妻がいた。彼女たち二人はどちらもエッチンガー
に先立ってこの世を去り、共に冷凍保存されている。はるか未来に、
エッチンガーと共にこの二人も並んでよみがえったとき、かれは果たしてどちら
を選ぶか、という問題に直面することになる。
エッチンガーはこの”事実”に対し、煩悶しなかったのだろうか?
私だったら、ちょっとそれを思うだけでも、2度目の生などごめん、と思って
しまうところなのだが。