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2011年7月25日投稿
怪しかった男 【訃報 原田芳雄】
死にざまのいい人だったと思う。
もちろん、映画の中での話だ。
『田園に死す』(74)では、風来坊のような男で、主人公の少年が
あこがれていた人妻・八千草薫とあっさり心中してしまい、死体が風に
吹かれていた。『修羅雪姫・怨み恋歌』(74)では、貧民街の人々の
治療に力をそそぐ医者。なのにこれまたなぜか風来坊のように現われて
逃亡中の修羅雪こと梶芽衣子を救う。ペストに感染しながらも兄の仇
である岸田森を狙うが逆にその銃弾に斃れて、苦しみつつ梶芽衣子に、
とどめを、と頼む。愛する男を、愛するが故にひと思いに殺す修羅雪。
彼の身体から噴き出る血は、怨念の色か、真っ黒い色であった。
そして代表作『竜馬暗殺』(74)。断ち割られた頭蓋から血を
とめどなく流し、(白黒映画だからこれも真っ黒な血だったが)
無表情のままに死んでいく竜馬。70年安保の成立で突如断ち切られた
若い世代の革命思想の挫折感を象徴する、印象深い死のシーンであった。
思えば以上三本、全て1974年の作品。まさに原田芳雄はこの
時代、渾沌の70年代半ばの時代の象徴だったと思う。
それからちょうど10年後、『西部警察』最終回(84)で、日活での
先輩、渡哲也こと大門圭介の最後にして最大の敵、国際テロリストの
藤崎として登場したときも、凄絶な死に方を見せてくれて印象的だった。
たぶん、あの藤崎はまぎれもなく安保世代の亡霊、当時の日本の40代の、
まつろわぬ魂の具現であったと思う。
テロリスト、アナーキスト、アウトロー、革命児、風来坊。
そんな役をやらせれば、天下一品の人だっただけに、晩年、
NHKの『白洲次郎』で吉田茂役を、“全然似てないじゃないか”と
いうこっちの先入観を大きく裏切って好演していたのを見たときには、
嬉しくもあり、また30年来のアナーキスト・原田のファンとして
くやしくもあり、だった。こんな落ち着いた人になってしまうとは。
しかし、それもまた、原田芳雄という俳優を追いかけるなら、覚悟して
おかなければならない裏切りの筈だ。
そう原田芳雄に最も似合っているのは、“怪人”なのである。
アナーキストであっても、どこかにユーモラスな雰囲気を漂わせた怪人。
『ツィゴイネルワイゼン』(80)での中砂糺は、羽織ったトンビを
まるでドラキュラのマントのようになびかせて、突如出現しては観客を
驚かせる。大谷直子とのキスシーンはまさにドラキュラの吸血シーン
のイメージだろう。死と生の境に存在するドラキュラと同じく、この
映画の中砂は、死の世界にあって生の世界になお影響力を持ち、
しまいにはどちらが生でどちらが死の方にいるか、その分明がつかなく
なる。それというのも、中砂を演ずる原田芳雄という人物自体の存在感
が、安定を嫌い、安住を嫌い、常に転変を繰り返し、自分の立ち位置を
常に不分明にしていた怪人だったから、なのである。
『竜馬暗殺』では、果たして革命の意志があるのかないのか、
江戸を火の海にするつもりなのかどうなのか、立ち位置がはっきり
しない竜馬に薩長がいらだち、ついに竜馬の抹殺指示が下る。
右か左か、白か黒か、人間は誰しも自分の旗色を明確にすることで
身の安泰をはかろうとする。そのような価値観から離れ、
あるときは幕府に、あるときは官軍に近寄るかのような行動をあえて
とり続ける竜馬。実はそのどちらもかれの眼中にはない。
何かに与するということなく、常に“自分の考え”をつらぬき通す、
体制から見れば怪しげきわまりない男。
この映画は竜馬をそのように描き、その竜馬像と、役者としての原田
芳雄のイメージは見事にぴったり重なっている。
私が、原田の竜馬を全ての坂本竜馬役者のトップに置く所以である。
そんな、生と死すら超越していた男が、ついに死の世界へと
居を移した。大腸ガンを経験し、腸閉塞と誤嚥性肺炎に冒され、
持病の腰部脊柱管狭窄症の悪化にまで見舞われた彼は、11日
行われた出演映画『大鹿村騒動記』の舞台挨拶も、喉の炎症で
声が出ず、共演者の石橋蓮司が代読したという。37年前、
『竜馬暗殺』で中岡慎太郎を演じて名コンビぶりを見せた仲である。
彼にメッセージを代読してもらったことで、役者としての原田の
一生の円環が閉じた、と見るべきなのだろう。
映画で見せた死に様とはまた異ってはいるが、これはこれで、
見事に美学を完結させた最後の挨拶、と見るべきなのだと思う。
あの時代、私を映画館の狭い椅子の中に縛りつけ、そして、
はるかに広く豊かな世界に案内してくれた素晴らしき怪人に、
感謝と、哀悼の意を込めて祈りたいと思う。
ありがとうございました。
R・I・P。