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2011年7月5日投稿
プロフェッショナルだった男 【訃報 小林修】
声優・小林修氏死去。
死去を伝えるニュースの見出しにある代表作が、てんでばらばら
だったのが印象に残った。ユル・ブリンナーの吹き替えを代表作に
あげていたところがあるかと思えば、ヤマトのドメル将軍やズォーダー
大帝をあげていたところがあり、『ローハイド』のギル・フェイバーの
ような懐しい役をあげていたところと並んで、最近の持ち役である
『ハリー・ポッター』のマッド・アイの名を出していたところがあり、
さらに1967年のアニメ『黄金バット』をあげていたマニアックな
ところもあった。
つまりはそれだけ長期間、実にさまざまな声を担当し、さまざまな
声をアテ、そしてその多くの役でわれわれの耳に確かな印象を
与えていた、ということだ。
とはいえ、その演じた役を一覧すると、ある特長が際立ってくる。
つまり、“何かの使命を果たすプロフェッショナル”、それもその
プロたちのリーダーを演じさせて、右に出る者がいない人だった、
ということだ。責任感とリーダーシップ、というものを人の声で
表すとしたら、小林修氏の声になるのではなかろうか。
それは何より、小林氏の最初の代表作となった『ローハイド』の、
毎回の冒頭ナレーションに顕著に現われている。氏がアテた主人公、
ギル・フェイバー(エリック・フレミング)の語りで、内容は毎回異る
のだが、ラストに必ず
「わたしは、ギル・フェイバー。一行の責任者である」
もしくは
「それが私、ギル・フェイバーの仕事である」
と名乗って〆メる、というのが定番だった。『ローハイド』の真の
主人公は特定の役割を持たない(だから自由にいろんな話にからむ
ことができる)クリント・イーストウッドのエディなのだが、
彼が自由に行動できるのも、どっしりとかまえたギルがいてくれる
おかげなのである。
ブリンナーの代表作『荒野の七人』のクリスもまた、何の義理もない
メキシコの農民を守るため、六人のガンマンを集め、統率し、
山賊を退治する。実際の撮影でのブリンナーはこの映画の制作者
でもあることを鼻にかけていばりちらし評判が悪かったらしいが、
小林氏の吹き替えは堂々として、理想のリーダーをそこに現出
させていた。一旦は袂を分かったハリー(ブラッド・デクスター)
がクリスとの友情のため戻ってきて、敵弾に倒れる。
そのハリー(声・森山周一郎)とのやりとり。
「なあ、教えろよクリス。お前ほどの男がこんな仕事、タダでやる
わけがないだろ? ブツは何だ? 金か? 銀か?」
「……金だ。村に50万ドルほどある」
「やっぱりな。……で、俺の取り分は?」
「7万ドルだ」
「悪くねえな……来てよかったぜ」
旧友の死を前に、あえてウソをついて満足させて死なせてやろう、
死ぬ方もそれに乗っかってやろうという人情芝居。これは原音で聞く
より、吹き替えの両ベテランの芝居で聞く方が絶対にいい。
1934年、東京向島生れ。戦後結核を患い、療養のつれづれにと
芝居を始めたのが終生の仕事となった。そのアテレコ技術の確かさ
は、『刑事コロンボ/白鳥の歌』で見てとれる。航空局調査官の
パングボーン(ジョン・デナー。この役もプロフェッショナルの役である)
を小林氏はアテているのだが、そのリップシンクの技術が完璧に近い。
それと対峙するコロンボ役の小池朝雄氏のアテレコが、普段は気にならないのに、
比較してえらく大ざっぱに見えてしまうほどであった。
また、アニメでは『ふしぎの島のフローネ』で、主人公フローネの
父親役だった小林勝彦氏が多忙で降板した後を引き継いだが、
その声質や演技の似せ方があまりに見事だったため、ほとんどの視聴者
が声優交代に気がつかなかった、というエピソードも残る。
声優の役割はその芝居が吹き替えとわかることでなく、声優の存在を
忘れさせるほどにアテレコが自然であること。そこに徹したプロ意識が、
逆に小林修という声優の存在を(逆説的ではあるが)大きく輝かせ
たのだと思う。
6月28日、膵臓ガンにて死去、78歳。
子供のときから私の血となり肉となっていた芝居を聞かせてくれて
いた声優さんが、次々お亡くなりになっていく。年齢からいって
仕方ないこととはいえ、たまらなく寂しい。
ご冥福をお祈りする。