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2011年5月13日投稿

渾沌を愛した男 【訃報 宇野誠一郎】

アニメソングの作曲家にも、さまざまな個性がある。
ダイナミックなリズムで聴く者の胸を踊らせるのが持ち味の人、
繊細なメロディラインで心をふるわせるのがうまい人、
勇壮でスケールの大きい交響詩的な曲を得意とする人。
そんな中、宇野誠一郎氏の曲の特長は何と言っても、
「遊び心があふれている」
ところにあった。

アニメというよりはバラエティショーのテーマソングみたいだった
『W3』。
オモチャ箱をひっくり返したようなにぎやかさだった
『悟空の大冒険』。
女の子の心に浮かぶ想いの連なりをそのまま曲でなぞったような
『不思議なメルモ』。
短い曲の中での緩急が自在という感じの
『ムーミン』。

いずれも、アニソン史に残る名曲ながら、そのひねり方が際立っていて、
異色作としか言いようがない曲ばかりだ。主題歌、というよりは
ミュージカルの中の一曲、というイメージが強い作品が多い。
この時代のアニソンの曲は主人公のカッコよさや可愛らしさを歌い上げる
ストレート性の強いものが多かったのに対し、宇野氏の作曲はもっと
方向性(ベクトル)が多彩多様で、一曲の中にいくつもの、聞く者を
驚かせるアイデアが詰め込まれていた。これは、コンビを組む作詞家に、
井上ひさし、山元護久、岩谷時子などという才気煥発な人たちが
多かったことも関係しているだろう。

『一休さん』の主題歌『とんちんかんちん一休さん』(山元護久作詞)
では、寺が舞台で小坊主が主人公という抹香臭いイメージを払うため
だろうが、いきなり“好き好き好き好き好き好き、愛してる”で始まる
意表のつき方、一転してエンディング『ははうえさま』では手紙の文章
をそのまま歌詞にして、しっとりとした曲をつける(最後の“一休”と
いう署名まで歌詞にするのが才気というものである)という工夫、
宇野氏にかかると、森羅万象、言葉という言葉には全て音楽を付す
ことが可能、という感じであった。

だから、宇野氏作曲の主題歌にはプロ歌手でない歌い手が起用されて
いることが多い。『ふしぎなメルモ』は出原千花子、『とんちんかんちん
一休さん』は相原恵という、どちらも小学生の歌唱だし、『さるとびエッ
ちゃん』は増山江威子、『ははうえさま』は藤田淑子という、声優が
歌っている。要するに、宇野氏が望んだのはプロ歌手の予定調和な、
完成された歌い方でなく、どこか素人故にひずみがあり、そのひずみ
が想定外の面白さを生むという効果だったのだろう。

そういう意味で、宇野氏にとって最高の歌い手の一人が藤村有弘で
あったことは間違いない。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョだ。
『ひょっこりひょうたん島ヒットソング・コレクション』(2003)
のライナーの中で宇野氏はこの番組の中での歌作りを
「ディレクターや井上さん、山元さんの期待をも裏切ろうとしていた」
と語っている。
「ガバチョの『未来を信ずる歌』にしても、明日を単純に信じるので
はなく、明日は何が起こるかわからないグレーゾーンなので、それを
含めて歌ってくれないと面白くならない、藤村有弘さんがそれを見事に
表現してくれていた。明日=希望という確信がある真面目な人には
なかなかできない」
その歌がこれ↓『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』
http://www.youtube.com/watch?v=oqgCJJIQm8Q
さらに↓『コケッコソング』
http://www.youtube.com/watch?v=MI42GKnlogs
「ニワトリの声から、自分の感情の方へずれていっちゃいますよね。
ズレ方が例えようもなく面白い」

『ひょうたん島』で共演していた熊倉一雄氏によると、藤村氏は
台本を事前に読まず、ぶっつけ本番でやっていたために、悲しいはず
のシーンで陽気にセリフを読んだり、真面目な話をふざけた調子で
やったりという間違いがしょっちゅうで、しかもディレクターが
それをほとんどNGを出さずに、
「予定にないことをさせればさせるほど面白い」
と、好き勝手をやらせていたという。宇野氏の基本には、こういう
ところから生れる面白さを最高の面白さととるセンスがある。

私の狭い経験でも、テレビや出版の現場において、最近は内容や演出に
間違いを許さず、逸脱を許さず、能率を重んじて細かい食い違いを
チェックしてばかりいる風潮がはびこりつつあるように思える。
安全ばかりを気にして、不安情報を、新たなものを生み出すチャンス
ととらえることが出来ない。
「不安もある渾沌とした世界を持とうよ」
という宇野氏のメッセージは伝わりにくくなっているのかもしれない。
「グレーゾーンが、今こそ大切だと思うんです」

その渾沌を大事にするために、何と『ひょうたん島』で宇野氏は、
全員が揃って歌うシーンでは、一緒になって歌わずに“バラバラで
個性出して歌ってくれ”という注文を出したという。
それはたぶん、日本人の最も苦手とすることである。しかし、
宇野氏は日本にはそれが大切なのだ、と作曲を通じ説き続けた。
1927(昭和2)年生まれ。日本が次第に“ひとつの方向へと”
向い出した時代と、その結果を体感している世代だからこそ、
訴えられ続けたテーマなのではないかと思う。
4月26日死去、84歳。

先のライナーによれば、『明日を信ずる歌』を聞いて一家心中を思い
とどまった家族がいるという。人は明日何が起こるかわからないから
死ぬのではない。明日も明後日も何も起こらないと思うから死ぬので
ある。何が起こるかわからない渾沌をこそ財産と教えてくれた
宇野氏の曲を子供時代聞き続けていたから、今日もなお、私は
生き続けていられるのかもしれない。心から感謝を捧げたいと思う。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa