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2011年4月6日投稿

時には沈黙を

震災による原発問題。
いろいろ思いはありますが、この件に関しては
発生以来、表だっては口を閉ざすことにしています。

何故かというと、わからないことがあまりに多すぎるから。
私ゃ原発の専門家でも何でもない。
原発に関する裏モノチックなネタならいくらもありますが
そんなもの、今この時期に書いたって不謹慎のそしりを受ける
以外、なんの得にもなりはしません。

雑学屋のニーズは、平時にあるものです。
こういう時に知ったかぶりを振りかざすものではありません。
ましてや私は雑学の魅力はアヤシゲなところにある、という
のが基本スタンスの人間です。そういう人間の出る幕かどうかは
心得ているつもりです。

いや、身内トークの場とかでは専門家ぶったことも言ったり
書いたりしていますよ。親しい知人で、肉親が福島県に取り残されて、
不安症候群になりかけていた人がいました。このときには、あっち
こっちのサイトから安心情報をかき集め、まるで自分が原子力の専門家
みたいな顔をして落ち着こうよと説得しました。そういうときは別ですが、
外ではやりません。

今回の災害では、テレビに雑誌に、驚くほどたくさんの
(本物の)原子力の専門家が顔を出しています。
今までどこにいたんだ、と呆れるほど説明の上手な人がいるかと思うと、
聞いていてじれったくなるほど話の下手(と、いうより司会者が
何を聞きたくて質問しているのかを理解できていない)人がいたりして、
そのそれぞれのキャラクターが興味深いものでした。

でも、はっきり言うと、彼らの専門知識は、われわれ聞いている
者の、8割以上にとっては豚に真珠なのです。
われわれにとり、彼らに聞きたいのはただひとつ、
「で、どうなの? 危ないの?」
ということだけなんですね。
そして、たとえこの先生方がそれにどんな回答を示そうと、われわれは
それで自分の胸の中にある結論を変えようとは(滅多なことが
ない限り)しないわけですよ。
専門家が何か言ったとしてわれわれの何割かは
「うむ、私が思った通りのことを言っている。この学者は信用できる」
と考え、われわれの何割かは
「けしからん、私が思ったのと違うことを言っている。この学者は
信用できん」
と考える。所詮われわれは、どれほどの情報化社会にいようとも、
自分に都合のいい情報しか耳に入れない生き物なのです。

ましてやあらゆる“自分の耳に心地よい”意見を探しさえすれば
拾えるこのネット・ツイッター時代、風評被害だのパニックだのを
抑えることはまず、不可能に近い。

問題は、ある程度、一般大衆よりは情報強者であり、マスコミに
名前も知られている、つまりオピニオン・リーダーになるべき
人たちに、今回の件で、情報とも言えない単なる感想・感情のタレ流しを
行っている人たちが多いことです。中には、あきらかにデマとわかる
悪意ある情報を、故意に流している著名人も何人か見かけました。
普段であれば、エンタテインメントの世界では誇張やウソも必要性があります。
しかし、それと今回を同一視するのは問題です。
こういう人たちは、自分の情報強者ぶりをアピールすることで
キャラクターを作り上げている。いきおい、マスコミがまだ報じて
いない情報を必死で探そうとする。その結果、今回のような場合、デマ情報
にひっかかる可能性も極めて高い、いわばがけっぷちでの商売
やっているわけなのですが、長く続けていると、本人にその自覚が無く
なってしまうものなんですね。

そして、たとえその情報が真実だとしても、事情が事情です。その発表が
与えるパニック、風評被害を思えば、私はその発表を敢て控えることも
マスコミ人の義務
なのではないか、と思うのです。
風評被害は抑え切れないにしろ、自分がその元凶となることは
可能な限り避けることが。

ドラマ(SFやホラーに多いですが)で、正義漢あふれる記者が
警察や政治家の記者会見の席で
「いつまで隠しておくつもりですか? 国民には知る権利が
あるんだ!」
と詰め寄るシーン、カッコよくてお気に入りの場面ではありますが、
実際にはどうでしょう。
確かにわれわれには知る権利がある。しかし、それを理解する知識・
能力はあるのだろうか? 知った上で理性ある行動をとれる自制心が
備わっているのだろうか? そう思ってしまうんですね。
http://blogs.bizmakoto.jp/noubiz/entry/2271.html
↑ここのブログの執筆者である島田徹という方を、私は寡聞にして
これまで存じ上げませんでしたが、いや、勇気がある人ですね。
世論を敵に回しかねないことを堂々と書いている。
しかし、正論です。

>>一般に理解されない高度な内容は説明しても無駄

まさにそうなのですよ。

この方はシステムエンジニアリング関係の会社の社長さんだそうで、
これまで何百というクレーマー対策をしてきた経験があるのでしょう、
そこから今回の東電叩きを批判している。
原発への批判者をクレーマーと一緒にするな、と怒る人もあるでしょうが、
人間の行動のパターンというのはだいたい同じです。

東電の記者会見の模様をテレビで見ていると、とにかくひたすら、
東電社員を追いつめようとしている記者の方が目につきます。
>>プレッシャーをかけられることで作業上の利点は何もありません。
というこのブログの文章を100回くらい読んでから会見に臨んで
いただきたい。
現実は、ドラマじゃないのです。

ニュースへのコメントなどを読むと、安心情報を語っている専門家を
御用学者、と決めつけて非難している人が多い。
私は、マスコミに出る学者は御用学者でないといけないと思って
います。
それを信じるかどうかは個人の自由として、マスコミ情報の混乱は
災害時に大きな混乱を引き起こす可能性がある。
統一されていない、さまざまな意見の乱立は受け取る側が混乱します。
何よりも原発付近の、身動きのとれない被災者たちの心の安定をこそ
考えて、非常時の情報は流すべきなのです。

サブカル・オタク周辺系のライターのみなさん、文科系アカデミシャンの
みなさん、その他原発・放射能問題が専門でないマスコミ文化人のみなさん。

われわれは多弁が商売的な特性です。
専門外のことに関してもつい、イッチョカミしたくなるおしゃべりが実に
多い(自戒ももちろん込めてますよ!)。
しかし、今回は、実際に被災地で、不安にふるえ、理由ないもの
であっても安心できる言葉が欲しい、と切実に思っている人々が
大勢います。
いま少しの間、この問題については、われわれは沈黙しませんか。

現場にいる専門家たちの、必死の努力を見守ることに専念しませんか。
われわれの“日常”であるところの、アニメやマンガや猟奇殺人事件や
SFX映画や、そういった事象への発言に専念しませんか。

それが、われわれ“不要不急の文物の楽しみ”を商売にしている
ものの、ある種の矜持であるようにも思うのです。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa