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2011年4月2日投稿
「英国」を体現した男 【訃報 マイケル・ガウ】
3月17日死去。94歳。
マイケル・ガフ、マイケル・ゴフ、マイケル・ガウなどと様々な
表記があるが、私にとり一番なじみの深いマイケル・ガウで本稿は
通させてもらう。
クリストファー・リー、ピーター・カッシングに次ぐ、
ハマー・プロダクション第三の男。
『吸血鬼ドラキュラ』(1958)で、ドラキュラに妹を殺され婚約者を
ねらわれるアーサー・ホルムウッドを演じて、吸血鬼にされた妹の胸に、
悲痛な思いで杭を打ち込む兄を演じた。かなり出番も多い重要な役なのだが、
リーとカッシングの活躍の前にちょっと影が薄かった。そもそも、その顔から
して、正義の側よりはカリスマ的な悪役が似あう人なのだ。
そういう意味では、1959年の猟奇犯罪映画『黒死館の恐怖』で
演じた、犯罪研究者で実は本人が連続殺人者、というバンクロフト役
がガウの本領発揮、という役柄でよかった。この映画でのガウの役は
足が不自由という設定であったが、後年、特別出演(重要な役では
あるがノンクレジット)した『ヘルハウス』(1973)での
エミリッヒ・ベラスコの役も、また足が不自由。ひょっとして、
ガウをこの役にキャスティングしたのは、バンクロフト役からの
イメージなのだろうか? と怪奇映画ファンとしてはカングってしまう
ような、これは嬉しいシークレット・キャスティングであった。
その後もハマーには律義に出演を続け、テレンス・フィッシャー監督
の『オペラの怪人』(1962)では主演女優をモノにしようとする
ダーシー卿。こういう色悪的な役も演じられるのが、ストイックな
イメージ一辺倒のカッシングと違うところであったろう。そういえば
イギリス版キングコングである『巨大猿怪獣コンガ』(1961)
でもマッド・サイエンティストの上に色好み、という役だった。
こういう映画に出ながら、ガウは『リチャード三世』(1955)や
『ジュリアス・シーザー』(1959。TV)、『モンテ・クリスト伯』
(1961。TV)、などの史劇・文芸ものに出演し続けていた(まあ、
そう言うならドラキュラもオペラの怪人も文芸ものではあるが)。
70年の大作『ジュリアス・シーザー』ではクリストファー・リーと共演して
いる。ホラー映画俳優としての彼のファンにティム・バートンがおり、バートン
は『バットマン』(89)から四作続けてガウを執事アルフレッドに起用して
いるが、文芸映画俳優としてのガウのファンにはデレク・ジャーマンがいて、
ジャーマンも彼の作品には『カラヴァッジオ』(1986)で
枢機卿役、『ウィトゲンシュタイン』(1992)でバートランド・
ラッセル役と、ガウを起用している。デレク・ジャーマンの濃厚かつ
象徴的な映像美にいささかアテられ気味だった私だが、ガウが出てきた
シーンは大喜びで、もう少しで試写室で拍手をしてしまうところだった。
ガウは植民地時代のマレー半島で英国人の両親の間に生れた。
植民地においての英国人は、その生活を本国以上にイギリス風にしよう
としていた。ガウの演技に典型的な英国人の雰囲気がただよっている
のはその育ちのせいであろう。86年のシドニー・ポラックの映画
『愛と哀しみの果て』(原作は愛と・ディネーセンの『アフリカの
日々』)でガウは実在の、イギリスからケニアに移住した貴族、
デラメア男爵を見事に演じているが、自身、そういう環境に育って
いたのである。適役だったのも当然だろう。英国調の生活が世界の
基準であった時代。ガウはそういう時代の雰囲気を持った英国人、
英国を体現している英国人の、最後の世代であった。後期の代表作となった
アルフレッド役の、他の役者とははっきり違うクイーンズ・イングリッシュの
耳に心地よかったことははっきりと記憶に残っている。
一俳優が亡くなった、というより、古き良き英国というものの喪失を、
彼の死は意味していると思う。
RIP。