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2011年4月1日投稿
流言のメカニズム
今回の地震では、いまだにネット上で、あきらかな流言飛語と
特定できる情報が流れ続けています。
中にはマスコミ関係者がその流布を手助けしているとさえ
思える例もあり、流言というものにいやでも意識を向けざるを
得ませんでした。
流言のメカニズムに関しては、いくつもの良サイトが解説して
くれています。下記のところもそのひとつ。
http://www.oak.dti.ne.jp/~xkana/psycho/social/social_19/index.html
ここで注目したいのは、G・W・オルボート(『デマの心理学』
等の著者)による、流言の発生を支える人々の欲求として
(1)人々が不安、不満、願望など強い感情にとらわれているとき、
その緊張を緩和し感情を正当化したい。
という意識が指摘されていることです。
つまり、震災だの原発事故だのといった場合、われわれは大きな
不安感に支配されます。それは当たり前のことで、その不安を解消
するため、あるいは対処手段を講じるために、われわれは情報を
求めるわけです。
だから、本来はそういう情報は“安心する”ためのもの、漠然と
した不安を落ち着かせるためのものであるはずなのです。
ところが、その不安を感じる“弱い”自分を恥じる気持ちという
ものが人間にはあるのですね。特に、学歴が高かったり、知的職業
についていたり、アタマが他人よりいいとされている人にそういう
タイプが多い。あるいは、そう自分で強く思っている人とか。
そういう人にとっては、今の自分の不安を、故ないもの、単に気分
のものとは思いたくない。プライドがそれを許さない。
「オレ(ワタシ)たるものが不安に思うのなら、その不安には理由
がなくてはならない」
と考える。そして、その理由を本能で探し求め、自分の要求に
ピッタリなものを見つけると、その理由の正当性の検証をスッとば
して、
「ほらみろ、オレ(ワタシ)の不安はこういう充分な理由あっての
ものなのだぞ」
と、周囲に触れ回りたくなる(誰もそんなこと聞いたりしてないの
ですけども)。
作家とかタレントとか、一般人よりも情報強者であるはずの人々が
よく、デマの流布者になってしまうのはこういう心理理由による
ものなのですね。
ネットなどの情報・知識に強い人間が精神的にも強いわけでは
決してありません。むしろ、そのような知識に長けている人で
心が弱い人がいた場合、簡単に流言飛語の発信源になり得ます。
「自分は専門家だ。政府が発表しない真実の情報を知っている」
と称しながら本名もあかさずハンドルネームだけで、しかも
実際の危機回避行動をしている気配はなく、ネット上で煽っている
だけ、というような発信元には要注意です。
震災のときに限った話ではありませんが。