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2011年3月30日投稿

大人のマンガを描いた男 【訃報 村野守美】

『ほえろボボ』のような動物マンガから、
『わんぱく球団』などの少年マンガ、
『垣根の魔女』をはじめとする人情もの、
『秘戯御法』的なエロチックもの、
『オサムとタエ』に代表されるノスタルジック調作品、
『SF新世紀レンズマン』みたいなSF、さらには
『神々の指紋』などというトンデモぽいものまで、およそ何でも
描ける万能作家で、しかも、それぞれの作品でテクニックを
使い分けるというわけではなく、何を描いても村野守美で、
それでいてほとんどの作品(これ以外にも少女マンガやサスペンスや
宗教の宣伝マンガや、ありとあらゆるものを描いている)が
“しっくりと”絵柄にあって落ち着いているという、不思議な
作家だった。

これだけ多彩な作品を描いていて、しかもアニメまで手がけている。
その万能作家ぶりは、師匠・手塚治虫の衣鉢を見事に受けついでいた
と言えるだろう。題名をちょっと失念したが、秋田書店が少女マンガ誌
『プリンセス』を創刊したとき、横山光輝や松本零士といった
少年誌で人気の作家に読み切りを描かせるという試みをしていて、
その中で最も見事に少女マンガらしい少女マンガを描いていたのが
村野守美だった。海外もので、そのままカルピスファミリー劇場で
アニメ化できるような話だった。

とはいえ、やはりその本領を存分に発揮したのは、『ガロ』や
『漫画アクション』等で描いていた青年向け作品群だったろう。
とにかく完成度の高さが驚異的だった。テクニックと個性、そして
ストーリィテリングの巧みさなどの、マンガ家にとり必要な要素の
総合点から言えば、日本のマンガ家で最高位に位置する人ではなかった
かとさえ思う。逆に言えば、その“何でも描ける”というところが、
村野守美と言えば、という強烈なアピールを欠かせたところだった
かもしれない。

むしろ、作品以上に強烈なアピールがビリビリと伝わってきたのは
作者ご本人だった。業界(マンガ、アニメ双方)の友人たちから
酒の席などで漏れ聞いたそのエピソードの数々は、武勇伝などという
にはあまりにシャレにならず、これがあの繊細なタッチの作品の
作者の話か、と耳を疑わせるものがあった。
何度かガロのパーティなどでお目にかかり、挨拶させていただいた
こともあるが、ちょっと他の作家さんに対するときとは異る緊張が
あったものだ。

もちろん、作品を観賞するにはそんなことは何の傷にもならない。
しかし、改めて“創作”というものの底の深さを思うようになった
のは事実である。『オサムとタエ』シリーズのノスタルジアに
浸っていたときに、そうだ、氏は幼少時に障害を得て下半身不随に
なっている、このような(オサムのような)子供時代を送れたはず
はないのだ、と気づいたときの衝撃は忘れられない。それを微塵も
感じさせない作品の出来には舌をまいたけれど。

大手雑誌のマンガですら、“生き残り”をかけて次々に新手を打って
いかねばならない今の時代のマンガ家たちは気の毒だ、と思う。
マンガに、大人の余裕がなくなっている(マンガに限ったことでは
ないだろうが)。村野守美がその人生の大部分を過した時期のマンガ
界は、まず娯楽の王座としてのマンガの位置は不動とされており、
その安定感を基調にして、多彩な個性、才能の持ち主たちが共存し、
腕を競い合っていた。“強烈なアピールを欠いた”とさっき書いた
のは、村野作品を誹謗したのではない。余裕をもち、ガツガツと
人気取りをせずとも、充分にマンガの世界に、村野守美という城を
築けた時代、大人たちが大人のマンガを楽しめた時代の素晴らしさを
言いたかったのである。

3月7日心不全で死去。69歳。
大人もマンガを読むことが当たり前の時代になった。
なのに、大人のマンガを描いてくれる人がどんどん、いなくなって
いっている。無性に、寂しい。

冥福をお祈りする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa