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2011年3月25日投稿

渉猟した男 【訃報 谷沢永一】

3月8日、心不全により死去。81歳。

志水一夫氏が亡くなったとき、その蔵書が四万冊と報告されたが、
この人の蔵書数は二十万冊だったそうである。志水氏の五倍である。
今後どうやって整理するのか、他人事ながら心配になる。

昭和後期の保守文壇人で、容赦ない辛口評論と言えば百目鬼恭三郎と、
この谷沢永一の両氏が横綱だった。
『アホばか間抜け大学教授』というタイトルのエッセイがあると言えば
どれくらいの辛口の人かは想像できると思う。

百目鬼氏の辛口が、どちらかというと教養人の高みからのもので
あったのに対し、谷沢氏の辛口は、大阪人らしく庶民の側に立っている
が故のもので、自腹を切って本を買う市井の人々に、その値段に見合う
だけの内容のものを売りなはれや、という感じの辛口であった。
いわばおせっかいなのだが、そのおせっかいぶりがいかにも谷沢永一式、
であった。

大学づとめをしながらも大学紀要や大学教授に厳しかったのも、学生
たちの支払う高い授業料に見合った努力を今の大学はしていない、という
憤懣からだった。大学時代の同人誌仲間、開高健・向井敏、谷沢永一の
三人による鼎談集、『書斎のポ・ト・フ』(潮出版)の中で、当時
学習院大学教授だった篠沢秀雄氏の講義集を絶賛していたのも、
そのあらわれだった。

昔の大学生なら、学校の授業だというだけで、それがどんなに退屈な
ものでも一応聞かねばならぬ、という態度をとってくれた。今の学生は
ただ椅子に体を投げ出して、サア俺たちを楽しませてくれ、と要求する、
と谷沢氏はいう。授業料を払っている分を取り戻そうとするという。
そういう連中を前に、よろしい、そんなら楽しませてやろうじゃ
ないかと開き直って授業をエンタテインメントに昇華してしまったのが
篠沢教授の講義であるという。もちろん、ただ楽しいだけではない、
みっしりとそこには内容がつまっているのだ。

その谷沢氏自身は自分の講義をエンタテインメントにする代わりに、
年度の最初の講義において新入生たちに、出欠は一切取らない、
レポートは原稿用紙四○○字詰め二枚(だったか一枚だったか)以内、
ただし白紙で出そうがぎっしり書き込もうが点数は一律同じ、全員
合格とするのでそのつもりで、と訓示したそうだ(いまそのエッセイが
載った書籍が出てこないので記憶で書く。記憶違いは後で訂正する)。
本当に諸君のうちで近世文学を勉強したいと思う方だけが講義を
受けてくれればそれでよろしい、文学などというものは本当に好きな
人間以外には無用のもので、そうでない方はそんなものを勉強する
あいだにアルバイトでもなんでもした方がよほど青春の時間を
有意義に使うことになる、よって次回以降は教室を学内で一番小さい
部屋に移動する、出席する諸君は間違えないように、では大部分の
諸君には二度とお目にかかることはあるまい、お元気で、さようなら
と言い捨てたそうである。これも大阪人らしい功利主義だと思う。

江國滋氏をして“人間わざと思われず”と感嘆せしめた読書量は
学術書、教養書ばかりか雑書、俗書の類までを渉猟していた。
『完本・紙つぶて』(文藝春秋社)の中で、富島健夫のポルノ小説まで
読破して、その優劣を論じていたのを読んだときはひっくり返った
ものだった。それだけの本を読みながら、また書き、200冊近くの
著書・共著がある。しかもそれが、一年のうち数ヶ月に及ぶという
定期的な鬱病の期間を除いた時間でなされているのである。
あまりの多作に、親友の開高健が少しペースを落とした方がいい、
と忠告したというが、その癖は死ぬまでやまなかったようだ。
開高氏は89年に亡くなり、向井氏また2002年に逝く。
一人取り残された寂寞感を、本を書くことでまぎらしていたので
あろうか。

そのせいでもないだろうが、1990年代末、いわゆる
進歩的文化人を、口を極めて罵りはじめたときからの著作には、
ちょっとついていけないという感じがしたのも事実である。
罵倒というのは感情で為されるものであり、これは辛口とは違う
ものだ。谷沢氏は、向井氏や開高氏と同じく、若い時代に左翼
活動を経験しており、その近親憎悪的な感情が迸ってしまった
のではあるまいか、とさえ思えたものだった。
私には、やはりこの人の最良の仕事は、開高・向井両氏とトリオを
組んだ『書斎のポ・ト・フ』をはじめとする、80年代半ばから
90年代にかけての著作にあると信ずる。

そして、もちろん『完本・紙つぶて』。書誌学者としての成果では
薄田泣菫の名コラムを網羅した富山房百科文庫の『完本・茶話』
(浦西和彦との共編)だろう。岩波文庫の『茶話』と比較して読んで
見れば、編者の優劣がそのまま、本の面白さに直結しているのが
明らかになるはずだ。

……だが、人生を通じての最大の傑作は、大学時代、貧乏で本も
買えずにいた後輩に、自分の膨大な蔵書を解放し、自由に読ませ、
貸し与え、挙句に同人誌『えんぴつ』に引きずり込んで誕生させた、
作家・開高健ではなかったかと思う。

あちらでまた開高・向井氏らと、闊達な読書談義を交してください。
R.I.P.

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