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2011年2月27日投稿

帰る家のあった男 【訃報 ジョン・バリー】

1月30日死去、77歳。
真の天才とは量と質の双方をカバーする仕事をなした者である、
という言葉があるが、その意味ではジョン・バリーはまさに
天才であった。

訃報記事に『007』のテーマ曲で知られ……と書いてあったが
あの曲はモンティ・ノーマン作曲。もともと第一作『ドクター・ノオ』
の音楽に起用されたのもノーマンの方だった。
ところがモンティ・ノーマンは、プロデューサーのサルツマン&
ブロッコリのコンビの前作『腰抜けアフリカ道中』の音楽を
エキゾチズム風に仕上げ好評だったので、次のこの作品も、
南米が舞台なのでカリプソ調に仕上げようとした。
まあ、名曲とされる挿入歌『アンダー・ザ・マンゴ・ツリー』は
それで生れたのだが、彼はジェームズ・ボンドのテーマ曲も
エキゾチズムで統一しようとした。
それはこんな感じの曲であったらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EuzGhIyRQ&feature=player_embedded#at=16
をいをい(笑)。

これではいかん、とサルツマン&ブロッコリが急遽呼んだのが
バリーで、彼はノーマンの原曲を見事にアレンジしてみせた
……とは言っても応急仕事だったので、かつて彼が作曲した
アダム・フェイスの歌のイントロにちょっと似てしまっているのは
やむを得なかった。
http://www.youtube.com/watch?v=rThWY6jsiJ4&feature=player_embedded

第一作の音楽がノーマン、第二作『ロシアより愛をこめて』で
音楽担当になったが主題歌はマット・モンロー作曲。やっと第三作
『ゴールドフィンガー』で主題歌を作曲させてもらい、負けられない
と思ったか、凄まじく力の入った傑作を作った(もっとも、やはり作曲は
超短期間で行われたらしいが)。

あまりに有名なのでリンクはしないが、彼自身、自分の生涯での
ベストスコアは『ゴールドフィンガー』だと言っていたという。
私としては歴史大作『冬のライオン』の、文学性と娯楽性を合わせ
持ったテーマがジョンバリらしさの最高傑作と思っているのだが。
http://www.youtube.com/watch?v=Jde-NT7vfn0&feature=player_embedded

他にも『フォロー・ミー』の切ないメロディ、『真夜中のカーボーイ』
のハーモニカのやるせない音色、『野生のエルザ』の美しい音の広がり、
『死亡遊戯』の勇壮さ、『ブラックホール』の宇宙規模のミステリアス
性等々、いったいこの人には引き出しがいくつあるんだろう? と
思わせる器用さを持ちながら、一方で“ジョンバリ節”と言われる
絶対の個性を保ち続けていられたのは、やはり007という、
“帰る家”を持っていた強みだろう。
個人的にはこの曲が最もバリーの007らしいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=7_bi-U0NELY&feature=player_embedded

4回も結婚したプレイボーイ(歴代の妻の中にはあのジェーン・
バーキンもいる)だが、最後の奥さんを紹介したのは007シリーズ
のプロデューサー、アルバート・ブロッコリの娘のバーバラだった
そうだ。まさにバリーにとって007制作チームは“家族”みたいな
ものだったのである。

私にとりリアルタイムで思い出深いのは上京したときテレビで
毎週見ていた『オーソン・ウェルズ劇場』のテーマソング、
http://www.youtube.com/watch?v=ArYrfQ7fE-w&feature=player_embedded
そしてテレビで見た『さらばベルリンの灯』の挿入曲、
『アウトバーンマーチ』。これはオリジナルがYouTubeに
なかったので、東京パノラママンボボーイズのカバーを入れておく。
http://www.youtube.com/watch?v=eLxCvoK9C8k&feature=player_embedded
驚くのはこれだけ多彩な曲を自由自在という感じで作曲した
人物が、正規の音楽教育どころか、正規の教育もロクに受けて
いないことだ(音楽学校は1年ちょっとで退学、あとは個人的に
通信教育で学んだだけ)。天才にはそういうものは必要がないの
であろう。われわれは天才の仕事を、実にゼイタクに聞きまくれた
時代に生きることが出来た。
眼福ならぬ耳福というべきだろう。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa