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2011年1月31日投稿

渾沌を愛した男 【訃報(補遺) 朝倉喬司】

ノンフィクション作家朝倉喬司氏死去、67歳。
2010年12月9日、自宅で孤独死していたのを発見された。
10月に離婚し、一人暮らしを始めた矢先の死であったらしい。
暮の寒空に物悲しきニュース。
都市伝説系の本、大衆芸能関連の本を何冊もものされており、
大変お世話になった著者である。

執筆対象はロッキード事件から秋葉原通り魔殺人まで実に
広範囲に及んでいたが、私が何と言ってもこの人の代表的仕事
だと思っていたのは河内音頭に代表される大衆芸能もので、
『走れ 国定忠治』(現代書館)に所収の『国定忠治紀行』など、
大衆的ヒーローと大衆芸能の結びつきから生じる、ある種の
渾沌性を見事に抽出していて、秩序だの統制だのといったものを
打ち崩す、笑ってしまうほどのデタラメ、トンデモなパワーを、
取材する自らの混乱の中に描き切っていた。

都市伝説系もそうだが、要するに朝倉氏の興味の対象は、
常に論理や規律の中に治まり切らない、あやしげで定形を
なさないもの、の内にあったのだろうと思う。
怪しいものは怪しいことそれ自体がパワーである。
権威に認められ、文化の中に位置づけられたとき、
渾沌のパワーは失われる。たかだか不良とケンカしただけで
看板役者が謹慎せざるを得なくなる歌舞伎がいい例だ。
もとは差別されていた芸能であった歌舞伎がいつの間にか
権威となり、歌舞伎座の舞台に浪花節の唄い手が立ったとき、
舞台が汚れた、とカンナで削らせたという滑稽な差別感覚を
朝倉氏はことわけて糾弾しようとせず、むしろその差別感の
因って来るところが、浪曲が近代の歴史変動が生んだ芸能であるが
故なのだ、と分析してみせた。

そして、朝倉氏は“土着”ということにこだわり続けた人であった。
地霊信仰があるのかというほど、土地に根付いた文化を、
人を愛していた。その土地に生れ、その土地に死ぬことは
死ぬことではない。大きなひとつの文化サイクルの中でまた
もとの原初の段階にもどることだ、と位置づけていた。
『国定忠治紀行』は、忠治が刑場で酒を所望し、
「本州(上州)の酒を飲み 本州の土となる 快し」
と言った、という『赤城録』の記述をいかにも忠治にふさわしい
辞世の言として取り上げている。
本人は生まれ故郷の岐阜から遠く離れた神奈川でその最期を迎えた
わけだけれども。

また朝倉氏は『老人の美しい死について』という本も出していて、
そこでは自分から死に時、死に場所を定めての自死を
理想の死の形、という風に語っていた。
とはいえ、そこでの自死例はいずれも80代であり、
朝倉氏も自分の死はまだまだ先のことだ、と思っていたことであろう。
死に時は結局、自分では選べないのである。
また、そのような死は朝倉氏には似合わないと思う。
冥福を祈るという言葉をかけるべき人ではないだろう。
渾沌の巷に迷いでて、ルポルタージュを続けて欲しいと
思うものである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa