ニュース

新刊情報、イベント情報、その他お知らせ。

イベント

2011年1月31日投稿

寡黙だった男 【訃報(補遺)グラント・マッキューン】

2010年12月29日、グラント・マッキューン死去の報。
ガンだったそうで、67歳。

われわれ『スター・ウォーズ』第一世代には忘れられない名前。
モデル製作者として、Xウイングファイターや帝国軍戦艦、
そしてあのR2−D2を製作した人である。
R2−D2には生みの親が三人いて、まず最初のコンセプチュアル・
アートで円筒形のロボットを描いたラルフ・マックァリー、
それからメインデザイナーのジョン・バリー、そして実際に
R2本体を製作したマッキューンである。

『スター・ウォーズ』第一作(私が“第一作”と言った場合は
『エピソード4/新たなる希望』を指す)は予算が限られており、
マッキューンは宇宙船などに、近くのプラモデル屋から買い集めた
日本製プラモデルの部品を貼り付けてメカニック感を出し、
R2の頭部には照明器具の半球状の反射板を使ったという。
こういう話が大好きなのも、手作り感を重視する特撮第一世代の特徴か。

この作品でマッキューンは他のスタッフと共にアカデミー特殊効果賞
を受賞する。もともと映画の世界に足を踏み入れた最初は、
スピルバーグの『ジョーズ』におけるサメの模型製作だったという
から、映画がSFXの時代に入っていく、その時代の象徴のような
人物だった。そして『スター・ウォーズ』を経て、そのキャリアは
『スター・トレック』『バットマン・フォーエバー』『スピード』
『スパイダーマン2』など、100本以上に及ぶ。

『スター・ウォーズ』には暗黒面も多く、中でも第一作の特殊撮影
を担当したジョン・ダイクストラが、『宇宙空母ギャラクティカ』を
ILMのスタジオを使って撮影したことでルーカスの怒りをかって
解雇され、ルーカスが『ギャラクティカ』を『スター・ウォーズ』の
盗作であると訴えた事件が最も有名だが、マッキューンもまた
ギャラクティカ参加組であって、この作品が『スター・ウォーズ』
そっくりになった最大の責任を負っている(なにしろ同じ人間が
宇宙船群を製作してるのだから、似て当たり前)。
『スター・ウォーズ』サーガの最初の出発地たるロサンゼルスの
ILMはその後ダイクストラが買い上げて特撮プロダクション
『アポジー』を設立し、クリント・イーストウッド主演の『ファイヤー
フォックス』で見事な仕事を見せるがこれも90年代に解散。
マッキューンのミニチュア製作工房が最後までそこに残っていたという。
造形屋らしく口数少なく、あまり自らを語ることのなかった
マッキューンであるが、もっと裏話を残しておいてくれれば、
と残念に思う。
http://www.youtube.com/watch?v=epNyCg0vsr0&feature=player_embedded
↑アポジー時代のマッキューンのインタビュー(日本語)。
耳にはさんだエンピツが造形屋っぽくてカッコよかった。

しかし、ここで語られているミニチュア製作技術も、CGの
出現で急速に過去のものになりつつある。
時の流れのなんぞ速き。
R.I.P

Copyright 2006 Shunichi Karasawa