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2011年1月25日投稿

トラウマだった男 【訃報(補遺) 早川雄三】

2010年8月28日死去。85歳。
70年代から80年代にかけては必殺シリーズや水戸黄門の
悪役で月に一度は顔を見かけていた。
角張ってごつい顔つき、突き出た下唇、鋭いというよりは悪い目つき。
女をものにしようと迫るあたりの演技は絶品だったが、
たまに善意の人物(刑事など)を演じるときがあり、そのときには
上記のごつい顔つきがいかにも頼もしげに見えたものだ。

その前、60年代には大映に所属。
当時の大映作品の3本に1本は出ていたのではないかという
くらい、ありとあらゆる役を演じていた。
特に印象に残っているのは
『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン』(65)で、ニューギニアに
オパールを探しに行く船員・川尻。
山師ではあるが家族思いで、いつも妻と子供の写真を持っており、
金が手に入ったら家族と一緒に暮すのが願いで、
無事オパールを発見したときには狂喜乱舞し、
「大阪へ帰ったらマンション買うて、国から女房と子供呼んで
一緒に暮すんや!」
と叫ぶが、その次の瞬間、猛毒サソリに刺されて命を失う。
東宝映画の都会的洗練とはまるで異った、大映独自の臭い人間ドラマ
の特徴が如実に出たシーンであり、あまりに人間ぽい川尻のこの
死のシーンは私にとって、子供時代のトラウマになったシーンだった。
今でもここのシーンをビデオで見ると、落ち着かなくなる。
私にとって『ガメラ対バルゴン』は、“早川雄三がサソリに刺される”
映画なのである。

同年の『兵隊やくざ』では炊事班の古参兵、石上。
ラスト近くで勝新太郎の大宮貴三郎とサシの大格闘をする。
このシーンはガチンコでやっていたのではないかと思えるほど、
迫力ある男と男の争いだった。
翌66年には山本薩夫の『白い巨塔』で、第一外科助手の安西。
医局長の佃(高原駿雄)とコンビで、最初は教授争いをクールな
目で眺めているが、やがて財前サイドにつくと、徹底した選挙工作を
行い、ライバル候補の菊川教授(船越英二)の元まで乗り込んで
いき、候補辞退をせまる。相棒の佃にまで
「財前教授が実現しても、君だけ甘い汁じゃ俺たちゃ貧乏くじ
やからな」
と釘をさすほど欲のため、自分の地位のためにだけ動いて財前に
ついている安西が、菊川の前では大真面目な表情で
「僕たちは純粋に医局のためを思い、私利私欲を離れてお願いに
あがったんです」
と力説するあたりが実に面白かった。
……このあたりが、演技的にも、また作品の質的にも絶頂期だった
ように思う。

66年には大魔神シリーズの第三作『大魔神逆襲』にも出演。
主人公・鶴吉(二宮秀樹)の父親で、悪大名に硫黄採掘のため
さらわれた樵。木の枝で子供たちの像を彫って祈っていた。
70年の『でんきくらげ』ではワンシーンの出演。
ポーカーの勝負で体を売る渥美マリに目をつけるが、大会社の
重役である永井智雄が金に糸目をつけないのに比べ、悲しいかな
中小企業の社長である早川雄三は、十二万巻き上げられた
だけでギブアップ。財力の差を見せつけられる役だった。
そして71年、大映倒産。俳優組合の団交委員長となり、会社と
渡り合っている。人望もあったのだと思う。

いかにも日本人的な風貌であり、演じる役柄もそういう感じのもの
が多かったが、もともとは戦後すぐにGHQにつとめ、
さらに日本に入ってきたばかりのコカ・コーラ社に勤めたという、
アメリカ文化の申し子的経歴なのが面白い。
さらにユニークなのは自動車マニアであり、それが高じて、
大映で俳優をやりながら、タクシー会社に勤めて運転手をやって
いたという。運転がしたくてしたくてたまらなかったのだろう。

長い間、その演技で私たちを楽しませてくれたことにお礼を
申上げたい。
黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa