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2011年1月21日投稿
ギネス級だった男【訃報 野上正義】
2010年12月22日未明、病院で死去。70歳。
そのちょっと前、倒れて人事不省が続いていたと聞いて、
心配していた。
通称ガミさん。
映画出演数1000本、ギネスブック級の記録の持ち主。
そのほとんどが、いわゆる”ピンク映画“。
ソルボンヌK子がオムニバスの一本の脚本・監督をした
『不思議の国のゲイたち』の中の、『在宅介護』(伍代暁子監督)
にホモの介護老人の役で出演していたが、あのときまだ50代末。
今の私とそういくつも違いはしなかっ
たのである。それが見事に70代の老人を演じていた。
作中にその老人の、二枚目だった若い頃の写真が出る。これは
実際の野上さんの若かりし頃のブロマイドだそうである。
実際、コワモテの二枚目でかなりモテたと思われる。
日本でピンク映画という分野を初めて確立した人間が本木荘二郎。
あの黒澤明の『野良犬』や『蜘蛛巣城』『羅生門』のプロデューサー
だった人物だ。そのプロデューサーが落魄し、1962年の
『肉体自由貿易』をはじめとする成人向け映画を量産しはじめる。
これが、いわゆる“ピンク映画(ちゃんとストーリィがある
エロ映画)”の最初期の作品であって、野上正義はこの本木
荘二郎に気に入られてピンク男優としての地位を確立した。
久保新二や山本晋也と共に、その死後の後始末もしたという
(遺品の中から『羅生門』のベネチア映画祭グランプリ金獅子賞
のレプリカが出てきたとか)。
普通に考えれば、天下の黒澤の映画を制作していた男がピンク映画
の監督をするのである。自虐、自責の念にかられてウツウツとして
いた、と想像しがちだが、その当時の彼を知る人々によると、
本木はいつもニコニコとして、実に楽しげに映画を撮っていた
という。
ガミさんも本当に楽しげにピンク映画に参加していた。
当時ピンク映画のスタッフをしていた知人に聞くと、現場には
厳しく、スタッフには優しい人であったという。出演する
だけでなく脚本も書き、演出もし、さらにピンク映画の申し子
としての著書『ちんこんか ピンク映画はどこにいく』
(三一書房)もあるガミさんはピンク映画出身の若手監督たちの
請いで、さまざまな映画作品に出演し、出演作の幅を広げていた
ところだった。最近では『メイドロイド』(2008)などにも
主演格で出演している。
快楽亭ブラックの飲み会でご一緒になり、たまたま同じテーブル
に植木不等式氏もいらして、『不思議の国のゲイたち』ばなしで
盛り上がったこともあった(植木氏もあの映画にガヤ出演して
いる)。そして、08年の第一回『ルナティック演劇祭』で、
石動三六氏演出の『権狐芝居』に特別出演したときの楽屋
(とも言えない、舞台裏の階段のところ)で偶然お会いしたとき
の驚きといったら。
お互いに顔を見合わせて驚いたのだが、なんでも、キャストが
足りなくなったので急遽の出演ということだった。出番は
少なかったものの、出てきたとたんに舞台の雰囲気ががらりと
変わるほどの存在感を見せていた。
ピンク映画を愛し、ピンク映画に関わる人を愛し、本当に楽し
そうにこの世界を生きた人だったと思う。しかし、いくら楽しさ
を味わいつくしたとはいえ、70歳はいくらなんでも早すぎる。
出馬康成監督『2045年 女の都』の中での野上さんの役は
“ピンク映画の監督をしていて2045年には浮浪者になり
ながらも妄想の中で映画作りをし続けている老人”の役だった
とか。実践してほしかったのに……。
ご冥福をお祈りする。