ニュース

新刊情報、イベント情報、その他お知らせ。

イベント

2011年1月10日投稿

奇声を上げていた男 【訃報 キング・イヤウケア】

初来日当時のブルーザー・ブロディがサーキットを一緒に回り、
コンビを組んでいたのがこのキング・カーチス・イヤウケア。
その時は頭をツルツルにしていたが、それ以前は長髪で、
実況のアナウンサーがブロディの長髪を
「巨体といい怪力といい、かつてのイヤウケアに似ている」
と言っていた。確かに、初来日時のブロディはその後の
シェイプアップした肉体美ではなく、ややデバラの
巨漢レスラーのイメージを引きずっていたから、
かなり似通ってはいた。

あと、試合中に奇声を上げるということ、狂乱型のファイトで
場外乱戦などを得意とすること、それから巨体の癖に
飛び技をフィニッシュにする(ブロディはフライング・ニードロップ、
イヤウケアはフライング・ソーセージと称するボディプレス)ところも相似形。

しかし、何より似ていたのはオデコの傷である。
似ているというより、オデコの傷にかけては、ブロディ、ブッチャー、
それにラッシャー木村などトレードマークにしている選手は多かったが
誰よりも凄かったのがこのキング・イヤウケア。
ささくれたマナイタというか猫の引っ掻いた床というか、
傷の上に傷か重なり、それが異様な形状にふくれあがり、最終的には
現代アートみたくなっていた。
後に傷口からバイキンが入り下半身マヒとなったと聞いて、ああ、あの
オデコから、と真っ先に思ったものだった(本当はカカトから)。

タッグとはいえあのカール・ゴッチを破ってWWWF王者を所持した
こともある実力者で、フロリダ、オーストラリアでも長年チャンピオンの
座に君臨していた。そして当然ながら、地元ハワイでは英雄的存在だった
そうで、引退後にブッカーとして活躍したのも、世界でつちかった
人脈によるところが大きい。

ハワイ出身の多くのレスラーの例に漏れず気のいい巨漢で、誰にも好かれた
らしいが、契約する側の社長であるジャイアント馬場にはそこが物足りなく
映ったらしい。
「(強いことは強いが)何かひとつ足りない、その何かがわからない、
そんなレスラー」
とイヤウケアを評している(『16文が行く』)。
天賦の才能と恵まれた体格を持ちながら、いや、持っているが故に、
あとひとつ、何かをつけ加えるという工夫をする必要、トップに
ノシ上がる努力をする必要を感じなかったのだろう。

……これは、カメハメハ大王の血を引くハワイ名家の出身という“いい血筋の
出の人間”の共通して持つ弱点と言える。評者のジャイアント馬場は
野球で挫折してプロレスの世界に入り苦労した人間だけに、常にレスラー
に“向上心”を求めた人である。たぶんいろいろ意見もしたと思うが、
イヤウケアは、聞かなかったというよりは、“何のことだかよく
わからなかった”のだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=tnOVPhP5S2I&feature=player_embedded
その野放図なレスリングは確かに“うーん今ひとつ”という感じがあったが
しかし、その、楽しげに暴れる姿には、プロレスという娯楽の持つ
根本の魅力があふれていたように思う。

12月4日、ハワイで死去。73歳。
ラッシャー木村、ジョー樋口、山本小鉄、星野勘太郎……2010年の
プロレス界はどうしちゃったのだろう?
R・I・P。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa