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2010年12月23日投稿
別格だった男 【訃報 野沢那智】
榊原郁恵に『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』
というへんてこな唄があって(“<”は“より”と読む)、
1977年のヒット曲だったから、アルパチもトウが立ち始めていたし
ましてやドロンなんかにかぶれる若い男なんざもういやしねえだろう、
作詞(森雪之丞)のセンスが古い、と当時喫茶店で駄弁っていたら、
そのころつきあっていた女の子が
「ドロンもパシーノも野沢那智が吹き替えている。この女性が
慕っている“あなた”というのは野沢那智のことなのではないか」
という説を唱えて、なるほど、と妙に納得した(?)のを覚えている。
「アル・パシーノのまねなんかしてちょっとニヒルに笑う」
のも、
「アラン・ドロンのふりなんかして甘い言葉ささやく」
のも、吹き替えで役に入るための練習で、それをあこがれを持って
みつめている女の子の心の叫びが“アル・パシーノ+アラン・
ドロン<あなた”というわけだ。
当時、第一次声優ブームで、神谷明や山田康雄を追いかけている
女の子は周囲に山ほどいたから、そういう子の、あこがれが高じた
妄想の歌がこれだ、と言われても信じられてしまう雰囲気だったのだ。
野沢那智は、声優ブーム以前に“出待ち”がついた、日本でもたぶん
最初の声優だった。……とはいえ、それはまだ日本人が吹き替えという
文化に慣れていない時代、『0011/ナポレオン・ソロ』の、
イリヤ・クリヤキンのファンの子たちで、録音スタジオから出て
きた野沢那智を見てその子たちは一斉にがっかりした声で
「なぁんだ、イリヤと全然違うわ」
と叫んで、それ以来、野沢氏は人気スターの吹き替えの後は裏口から
帰るようになったという。
ちなみに、イリヤも、『悟空の大冒険』の三蔵法師も、いわゆる
“オカマしゃべり”であるが、当時の子供である私には何ら違和感
なく、“こういう大人、いるいる”と受け止めていた。いや、
オカマが身の回りにいたわけではなく、親戚などで、どちらかと
言えば上品な、教養ある紳士で、イントネーションは男なのに、
使う言葉は“そうかしら”“違うのよ”といった女性言葉、と
いう人がたくさんいた。そういう、上流のしゃべり言葉文化と
いうものが戦後の一時期に存在したのだ。だから、女性言葉を軽々と
使いこなす野沢那智の吹き替えを聞いて、
「この人はいい生まれの人なんじゃないか」
と直感したこともあった。後から調べたら氏の父親は作家の
陸(くが)直次郎で、当たらずといえども遠からず、というところ
だった。
それが言葉遣いばかりでなく、露骨にゲイテイストとして認知
されたのは1970年の虫プロのアニメラマ第二作『クレオパトラ』
だったろう。ここでの野沢氏の役はオクタビアヌス。このオクタビアヌス、
凄まじくクールな男で、シーザーもアントニウスもメロメロになった
クレオパトラの色香にただ独りアテられず、彼女を処刑しようとする。
ところが、クレオパトラの奴隷のイオニウスの肉体を見たとたん、
態度が豹変して……というもの。ここのシーンのオクタビアヌスの
オカマ演技を描くためにアニメーターの佐々門信芳は青山のゲイバーに
勉強にいかされ、ハマって帰ってきたというが(後に彼が作画監督を
したライディーン以降のサンライズ作品に美形キャラが続出するのは
ひょっとしてその時の……?)、それまでのクールなキャラから
一瞬でどオカマ演技にスイッチングする野沢那智の声の演技がとにかく
凄く、ややダレ気味演出が残念なこの作品の、ある意味一番の
見どころにもなっていた。この作品のウリとして、ハナ肇やなべおさみ
といった人気コメディアンたちが声をアテていたが、長年アニメを
やってきた者の演技はやはり違う、という声の勝負でのプロの技を
見せつけたと言ってもいい。
それは、表情やしぐさでカバーできる実際の演技と、声だけでキャラ
を表現する声優芝居のディフォルメの度合いの差であり、
アニメはそのディフォルメの思い切りのよさで印象の差がつく、
ということだ(この思い切りの大切さについては、以前古川登志夫氏と
トークした際、氏が力説されていた)。この、思い切りのよさが野沢吹き替えの
真骨頂と言えるだろう。そもそも、あのカン高めの声自体、思い切りの
産物で、実際の野沢氏は、日刊スポーツ等によれば低めの、落ち着いた
声だそうである。気合いであの高い声は作られていたのだ。
ロディ・マクドウォールが犯人を好演した刑事コロンボ『死の方程式』で
(奇しくもエリザベス・テーラーの『クレオパトラ』でマクドウォール
はオクタビアヌスの役を演じている)、彼の狂気的な高笑いを、野沢那智は
本人のマクドウォール以上のハイテンションで演じた。
吹き替えで見るとこの回は、とにかく全編、野沢那智の笑い声で満ちている
という印象なのである。これこそ吹き替え。
その存在感は数ある声優たちの中でも別格であり、『科学忍者隊
ガッチャマン』でただ一回だけゲスト出演した46話『死の谷の
ガッチャマン』では、レギュラーメンバーで出演したのが大鷲のケン
ただ一人。他のメンバー全員が欠場という、シリーズでもこれ一話のみ、
という特異な回だった。その欠場を一人で埋める(青野武氏なども
出ていたけれど)だけの重みを、すでに放映の72年当時、野沢那智
は持っていた。
10月30日、肺ガンで死去。72歳。
いまだ“那っちゃん”という呼び名が最もふさわしく思われる
野沢氏がもう72歳だったのか、という感慨が、訃報を聞いての
一番のショックだったかもしれない。声優という職業は、素顔を
さらす俳優と違い、それほど“老い”を認識させない。
また、再放送やDVDなどで、ほとんどの作品が繰り返し追体験
可能であり、本放映、上映当時からの時の流れをあまり意識させない。
それだから、訃報がかなり突然のことのように感じられる。
さらに、当時のわれわれにとって、声優情報というのは、今の
ようにあふれているものではなかった。洋画雑誌で時折行われる
声優特集などを数少ないデータベースとして、“能動的に”、
声優さんたちの情報をわれわれは取り込んできた。どんな小さい出演
情報でも、と探していた。必然的にマニアファンにならざるを得ず、
それ故に、自分の若い時代と密接に結びついて、他の俳優さんとは
自分の中における重要さが違う存在となってしまうのである。
そうそう、『ナポレオン・ソロ』のイリヤの役が全国的人気に
なっていた昭和41(1966)年に発売された、井上ひさし
脚本のソノシート『おそ松くん・いざゆかん!恐竜時代へ』の
中に、野沢那智ではないか、と疑われる声が入っている。
原始人チビ太と恐竜のシングルマッチが行われる、というときに、いきなり
実況放送が始まって
「全国のスポーツファンのみなさんこんにちは、ぼく、イリヤ・
クリキントンです。本日は人類の誇る石頭・チビ太と、血も涙も
ヨダレもない怪物、ゴルゴンとのメーンエベントが行われるってん
だからすごいよね」
とDJ調で野沢那智の声が入る(パックインミュージックが始まる一年
前である)ギャグに当時の私たちはひっくり返ったものだった。
あれは本当に野沢那智だったのだろうか?
モノはない時代だったかもしれない。映画やアニメの技術もまだまだ
未熟だった。だが、われわれの耳だけは、凄まじく贅沢な体験を
させてもらっていた。ラジオから流れるナッチャコパックの、
洋画劇場でのアラン・ドロンの、『チキチキマシン猛レース』の
あのナレーションの声が、われわれの耳に本当に豊かな、一生
消えない記憶を残してくれた。
自分の耳にかわってお礼を申し上げたい。
ありがとうございました。
残念なのは、耳に並ぶ目の体験を、『薔薇座』公演に足を運ぶ機会が
なく得られなかったことですが。
心よりご冥福をお祈りします。