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2010年12月19日投稿

見せまくった男 【訃報 ボブ・グッチョーネ】

「ある日道灌公、狩くらにお出かけになったな」
「ああ、あのすけべな映画ね」
           (立川談志『道灌』より)

“カリギュラ効果”という言葉があって、“見ちゃダメ”と言われたりすると
さほど見たくなかったものでも見たくなってしまう心理を言う。
“青髯効果”とでも名付ければいいと思う(ウラシマ効果、では
意味が違ってしまう)のだが、カリギュラ効果と言われているのは、
マルコム・マクダウェル主演の映画『カリギュラ』(1980)が
ポルノ指定されて、アメリカの映画館各館で上映が禁止され、その
ために上映されている館に人々が殺到し、大ヒットとなった
という事例があるためだという。
その『カリギュラ』の製作者であり、マクダウェルの他にピーター・
オトゥールやジョン・ギールグッドなどの英国の名優を出演させた
ゴア・ヴィダル脚本の重厚な史劇にポルノシーンをどんどんつぎ足して、
陳腐なハードコア・ポルノ映画にしてしまい、しかし結果として
普段なら史劇など見もしない大衆を映画館に殺到させた商売人が
ボブ・グッチョーネ。
雑誌『ペントハウス』の創刊者である。

ヒュー・ヘフナーが作った『プレイボーイ』誌創刊が1957年。
後にライバルとなる『ペントハウス』をボブ・グッチョーネが留学先の
イギリスで創刊させたのが1965年(4年後にアメリカに移る)。
この両誌の違いというと“ヘアの中身”が見えるかどうか、であり、
ヘアは見せてもその奥は見せないプレイボーイ、その奥まで見せちゃう
ペントハウス、として認知されている。まあ、日本人にとっては
どっちにしろ無惨に真っ黒く塗りつぶされてしまっているので
当時は違いがよくわからなかったわけだが。
そして、1974年にはさらに過激に性器を露出させた『ハスラー』誌
が創刊され、これが男性雑誌の代表になる。

日本ではこれ、50年代から70年代にかけての、単なる性表現の解放史
として位置づけられてしまいがちだが、実はアメリカにおいてはここに
ベトナム戦争というものが横たわり、男性誌の過激化、というのは
そのまま、人心の荒廃の進み具合とシンクロしてしまうのである。
ちなみに、グッチョーネがペントハウスを創刊させた65年というのは
アメリカが北爆を開始して、ベトナム戦争に参加した年。
死と隣り合わせの戦場に向う若い兵士たちにとり、その恐怖を忘れさせて
くれるものが『プレイボーイ』『ペントハウス』のヌードだった。
エロというのはドラッグと同様、兵士に死を忘れさせてくれる、
銃や爆弾に匹敵する戦争道具なのだ。

ヒュー・ヘフナーは1966年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤーだった
ジョー・コリンズを軍用ヘリコプターに乗せて最前線の兵士の慰問に
向わせた。この逸話は後にコッポラが『地獄の黙示録』に取り入れたが、
実はこの戦争末期で、『ペントハウス』は『プレイボーイ』に圧倒的に
発行部数で差をつける。70年代に入って女性器への修正を一気にゆるめた
のがその勝因だった。それにはアメリカにおけるウーマンリブ運動の衰退
も拍車をかけたかもしれない。

とはいえ、この世は栄枯盛衰。やがて『ペントハウス』は性器そのものを
大胆に接写した『ハスラー』誌に男性誌の王者の座を奪われる。
最高の女性を自分の隣に“成功の証明”として置く、というヘフナーが開拓し
グッチョーネが後を継いだ価値観を、『ハスラー』発行者のラリー・フリント
が“要は「やれる」ことだ”とミもフタもない徹底した大衆路線で打ち破った
のである。エロの歴史はそのまま大衆化の歴史でもあった。

……しかし、『ハスラー』誌の栄華も長くは続かなかった。
より過激さを、過激さをと追求していって、すぐに行き詰まってしまった
のである。このエロ業界の行き詰まりは、日本でも80年代にパラレルに
起った。ヘアヌード全盛時の某出版社の、やたけたに金をかけた忘年会に、
冒頭で名前を出した立川談志がゲストで招かれ、こう挨拶した。
「……ここまで見せて、あとはどうすンのかね? え? 内臓でも見せるの?」
そう、エロ資源というのは、すぐに枯渇してしまうのである。
ヘアヌードバブルが崩壊したのはこのパーティの翌年くらいだった。

結局、グッチョーネたちは、性描写開放運動の先端に立って権力と戦って
いながら、権力による規制こそ彼らの立場を際立たせ、また彼らの出版物
を買わせていた、という事実に気がついていなかった、または気がついても
どうにもできなかった、と言えると思う。“カリギュラ効果”の、
「“見ちゃダメ”と言われると見たくなる」
効果は、見ちゃダメという人がいてこそ発揮されるのである。

男性のエロ本能で稼ぎに稼ぎ、ホテル、カジノから、一時は独自の
原子力プラントまで所持しようかというイキオイだった(さすがに実現しなかった)
グッチョーネ帝国も投資の失敗でほとんど壊滅。『ペントハウス』誌の
売り上げもピーク時の10分の1に落ち込んでいるという現状を、
彼自身はどう見ていたのだろうか。
10月21日、79歳で死去。数年前から肺ガンを患っていた。
R.I.P.

あ、グッチョーネと映画、というと『カリギュラ』ばかりが取り上げられる
がそれだけではない。ロマン・ポランスキーの『チャイナタウン』、
ジョン・シュレシンジャーの『イナゴの日』などといった名作群にもちゃんと
出資している。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa