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2010年12月19日投稿
天職でなかった(?)男 【訃報 池部良】
小野耕世氏が『惑星大戦争』(77)公開時に苦言を呈して、
「辛気臭い顔で特攻する池部良よりも、私には初めて乗る宇宙船に
口をぽかんとあけている『スターウォーズ』の坊やの方がずっと
好ましい」
と言う意味のことを言っていたが、これは池部良に酷なのであって、
あれはあの映画で特に辛気臭い演技をしていたわけではなく、
池部良という人の顔が基本的に辛気臭い顔なのである。
『青い山脈』(49)の頃は知らず、代表作(最高傑作であろう)
『暁の脱走』(50)はもちろん辛気臭さの限りをつくした映画であったし、
私が名画座巡りしながら観た『白夫人の妖恋』(56)でも辛気臭かったし、
『潜水艦イ57降伏せず』(59)のラスト、潜水艦で敵駆逐艦に体当たりする
池部艦長も当然の如く辛気臭かったし、『昭和残侠伝』シリーズ(69〜)でも
辛気臭かった。その『残侠伝』で名コンビだった高倉健主演の『冬の華』(78)では
冒頭で健さんに殺されてしまう役。わけありという感じで淡々と殺されていた。
今思うと、この役がその数年間に見た池部良で一番辛気臭くなかった
かも。とにかく、中年すぎてからのこの人がほがらかに笑った
映画を見たことがない。なにしろ、別に辛気臭くなくてもいい
『小説吉田学校』(83)の緒方竹虎ですら辛気臭いのである。
『あゝ決戦航空隊』(74)では米内光政役。この役、山村聰あたりがやると
悲痛な演技の中にも豪放磊落さがにおうのだが、池部良の米内大臣が
鶴田浩二の大西瀧治郎に戦争継続を迫られるあたりのシーンは
日本辛気臭い大賞ものかと思うくらい辛気臭い演技のぶつかり合いだった。
それでいて、その演技には気品と知性がただよっていた。
“スケベ良”とあだ名されたくらいモテたそうで、むっつりスケベという
やつかと思ったら、本人は非常にユーモアあふれる、洒落た紳士で
あったらしい。なるほど、父君はユーモアあふれた政治漫画などで
知られる漫画家の池部均なのであった。ユーモア感覚に優れていたのも
当然である。
その彼がなぜ、辛気臭い顔でばかり映画に出ていたのかと言えば、
俳優という職業を天職とは思ってなかったからだろう。
戦後の再デビューである『青い山脈』は、33歳にもなって18歳の
役で出ることが実はイヤであったらしいし、『昭和残侠伝』シリーズは、
日本映画俳優協会の理事長の身でヤクザ役を演じることに抵抗があり、
名前を出来るだけ小さくしてくれと東映の俊藤浩滋に頼んでいる。
『妖星ゴラス』(62)をはじめとする特撮シリーズも、実は嫌々の出演であったらしい。
代表作がことごとく意に染まない出演であったという珍しい役者である
わけだが、これは本来は映画監督を志していたのに、たまたま役者の方で
職を得てしまったという、人生のもともとでの食い違いによるのかもしれない。
あの顔は“人生、ままにはならない”という諦念の顔だったのかもしれない。
……この人には実はご迷惑をかけて(?)いる。
潮健児氏の自伝『星を喰った男』を上梓するとき、帯に潮さんが『残侠伝』で
共演して親しくしてくれた池部さんの言葉が欲しい、と言うので、電話して
お願いをした。電話口に出た池部さんは
「潮ちゃんのためなら書きますよ」
とおっしゃってくれたが、清川虹子さんが
「良ちゃんともあろう人にわざわざ書いてもらうなんて失礼だわ。あなた
書いて、名前だけお借りしなさいな」
とおっしゃり、仕方なく私が代筆、というかゴーストで書いた。ちょっと
面白く書いてやろうと“最近の役者は役者のようなものでしかない”みたいな
ことを書いてしまい(私も若かった)、書いてからどうか、と思ったのだが、
潮さん自身がその文章を持って池部さんのお宅に伺い、見せたら、池部さんは
苦笑して
「面白いじゃない」
と言っておられたとか。若気の至り、お許しくださいと泉下に祈るしかない。
池部さんは潮さんのパーティにも出席してくださり、
「僕が撮影所で潮ちゃんにつけたあだ名が“ピラニア”で、それが東映内で
流行り、後のピラニア軍団の名前の元となった。あの名前は僕と潮ちゃんに
マルCがある」
と、ユーモアたっぷりのスピーチをしてくださった。
実はこのとき、鼻梁などがげっそりとこけ、かつての二枚目のイメージが
だいぶ損なわれていたように感じたのだが、後で聞いたら、持病のマラリア
で熱が出て、出席もあやぶまれたのを“潮ちゃんの一世一代だから”と、
病を押して出席してくれたとのことだった。
あの時のお礼とお詫びもまた、伝えられぬまま、だった。
92という長命ではあったが、いつでも、いつまでもいてくれる人、と
思っていたのである。
改めて冥福をお祈りしたい。