ニュース

新刊情報、イベント情報、その他お知らせ。

イベント

2010年10月22日投稿

完璧主義の男 【訃報 今敏】

8月24日、膵臓ガンで死去。46歳の若さ。

http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
↑この、『さようなら』と題されたブログの書き込みが遺言
になる。最初に読んだとき、あやうく、号泣するところだった。

これまで読んだどんな遺言よりも切実に身にしみた。
この医学の発達した現代において、仕事にも生活にも油の乗り切った
46歳で突如死ぬ、という不条理に唐突に見舞われた人間が、
ここまで冷静に自分の死を受け止めるには、よほどの葛藤が
その裏にあったろう。そして、その末にたどりついた、
“死への準備”の完璧さには感動を通り越して絶句せざるを得ない。

関係した全ての人間にお礼を言い、愛する妻には遺産の譲渡が
スムーズに行くように計らい、老いた両親には別れを告げ、
何より監督として心残りだったろう自作『夢見る機械』の完成に
ついてプロダクション社長と打ち合わせをし、長年暮した家に自分の
身を運び、そこで死を待つ。

こんな万全を期した人の死に様を見たことがない。
演出家は自らの死をも演出せずにはいられない生き物なのか。
そう思うと身を揺さぶられた。

それは今監督の作品に多く見られる完璧主義に、相通じる死に方
だったと思う。自分の死こそが、最後の自分の作品だったのでは
ないか、とさえ思う。
われわれ凡人の考えが及ぶところではない、と恐縮しながら、
でも、と思ってしまう。一言、言いたくなってしまう。
監督、凝り死にはいけません、と。
死ぬときくらい、もっと楽にお死にください、後のことは後の
者の領分に属することで、それはなんとかなるものです、と。
何か、この死に方には“業”を感じる。

最初に今敏という名を知ったのは漫画家としてだった。
『海帰線』を読んで、その完成度に仰天した。しはしたが、
あまりのその完璧主義に、この人は商業作家として
やっていけるのか、という思いを抱いたのも事実だ。
後に『パーフェクト・ブルー』を知人の竹内義和氏が制作した
とき、そこにあった監督名を見て、へえ、漫画家がアニメを
演出するのか、と思い、こちらの方が天職かもしれない、と
思った。その思いは間違っていなかったようで、あっという
間に日本のアニメシーンの、一方の雄と誰もが認める存在になった。
その多くが、アニメ化するのに適しているとは言えない
題材をとってきては、見事にそれをアニメとして成立させて
しまう、そのような作風であったと思う。
あえて言わせてもらうならば、どの作品も、その完璧主義の
強い香りに似ず、壮大な実験作、という感じが強くしたものだ。
最前線にいて、常に現状に刺激を与え続けたい、そのような
思いが、作品を、常に前のめりに走っていくような、そんな
感覚に彩らせていたのではあるまいか。
そして、その死もまた前のめりという気が非常にした。
ここまでくると、それはもはや演出家の“業”であろう。

何度も引用した言葉で恐縮だが、山田風太郎の『人間臨終図鑑』
に曰く
「死は大半の人にとっては挫折である。しかし、奇妙なことに、
それが挫折の死であればあるほどその人生は完全型をなして見える」
本人にとり、未完の作品を残しての死は挫折だったろう。
しかし、それ故に、今敏という人の人生は完全型をなす。
せめてあちらでは、肩の力を抜いて作品に向かい合ってほしい。
冥福をお祈りする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa