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2010年8月3日投稿
別れを告げに来た男 【訃報 佃公彦】
6月28日死去。80歳。
私は札幌育ちなので、『ほのぼの君』は北海道新聞で読んでいた。
1970年から連載開始だそうで(当初のタイトルは『ちびっこ
紳士』)、私が札幌を離れたのが78年だから、8年間読み続けて
いたことになる。
その8年間、このマンガを面白いと思ったことは“一回も”なかった。
新聞のマンガは面白いことよりも、毎日同じ場所に“ある”ことが
大事とか言われるが、それにしても限度があるのではないかと
思った。そもそも、キャラクター設定がシュルツの『ピーナッツ』
を露骨に模倣した感じがした。出てくる犬のキャラは最初は
片目という設定でアイパッチをしていたが、そのうちなくなって
普通の犬になってしまったと記憶している。
同じくとっていた毎日新聞(うちは店が毎日新聞札幌支社のビル内
にあるのでとらされていた)に1974年、東海林さだおの
『アサッテ君』が連載開始されたときには、比較して読んで、その
あまりの面白さに、いや、四コマというのはこれだろう、と思った
ほどである。現在、『アサッテ君』が若い人の間で“つまらない”
マンガの代名詞になっているが、連載開始当時はあれはひさびさに
見た“面白い新聞四コマ”だったのだ。
当時、面白くない新聞四コマの代表が読売新聞夕刊の『サンワリ君』
だったが、『ほのぼの君』に比べればマシ、というのが私の考えで
あった。なぜなら、『サンワリ君』がつまらないのは“笑わせよう
としてすべっている”からであり、『ほのぼの君』がつまらないのは、
そもそも“笑わせようとしていない”からであったのだ。
で、いつの間にか『ほのぼの君』は見ても意識の端にまったく留めなく
なっていた。“ああ、あるな”という感じであったのだ。で。しばらくして
ふと、久しぶりに『ほのぼの君』を読んでみると、何か感じが違った。
面白くないことはまったく同じ。だが、どこかが違う。何だろう、と
思って気がついたのは、四コマでなくなっていたことだ。三コマの
マンガになっていた。もはやストーリィやギャグという世界にあるもの
ですらなく、ポエムマンガ、として、独自の境地を開いたのだな、と
感じた。亡くなった記事についたコメントには、“ずっとそこにあった”
この作品を惜しむ声が続々と寄せられていた。
作品が面白い、というのは、読者の意識にとり、その作品が異物であり、
感覚をスクラッチするからである。そのスクラッチにより、われわれは
感覚を賦活させられる。だが、面白くない作品は逆にその意識・感覚の
一部になってしまうのである。神経が疲れ、バテたとき、面白い作品は
むしろ荷に感じられる。そういうときには、むしろ、いつもと同じの、
感覚を刺激しない作品の方が、心を安らげる働きをしてくれる。
『ほのぼの君』はそういう意味で、まさに新聞四コマの理想であった
のかもしれない。
で、私にとり、佃公彦の代表作は何と言ってもNHK『みんなのうた』
の中の、『小犬のプルー』のアニメーションの人。
本田路津子の歌声がいいのだが、残念ながらオリジナルはYouTube
上にはもう残されていないようだ。
……別れを体験するたびに、私はこの歌を口ずさむ。
もう歌いたくないと思いながら、また、歌うことになる。
そして、そのたびに脳裏には、佃公彦の絵が浮かぶのである。
佃公彦は自分にとり、“別れの作家”なのだ。
そう言えば2007年3月8日、『ほのぼの君』の最終回の
セリフは“さよならだけが人生さ……ナンチャッテ”であった。