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2010年8月3日投稿

常識を怒った男 【訃報 つかこうへい】

高田馬場の小さな劇場で見た『飛竜伝』。
紀伊国屋ホールで見た『熱海殺人事件』。
それまで見ていた唐や寺山はすでに“教養”であり、時代はいま、
つかこうへいのものなのだな、とはっきり感じさせた舞台だった。

井上ひさしと好子夫人の離婚騒動のとき、山藤章二氏はじめほとんどの
文壇人が井上氏の側についたとき、つか氏は好子夫人についた。
好子夫人の不倫の相手であるこまつ座舞台監督の西館督夫のこともよく
知るつか氏は、相談に来た好子夫人の前で
「ああ〜督夫じゃしょうがねえなあ〜」
と頭を抱えたという。

井上氏は“世間”のモラルを武器に西館氏を責め、世間またそれにならったが、
(少なくとも私の見た範囲では)つか氏だけが、“演劇界”における人間関係
の特殊性を前提とした考え方やものの言い方をしていたと思う。
演劇人だって世間常識に従わねばならぬ、という考え方もあるだろう。
映画人、芸人、テレビタレント等みなしかり。
彼らとてこの世間に生きて暮している限り、その常識に準拠する義務がある。
しかしまた、舞台(銀幕、高座、ブラウン管)の上に立ち、スポットライト
を浴び、おのれの存在をその世間に誇示することで自らのアイデンティティ
を問うている者はみな、どこかの部分で、世間一般の範を超えた、
アンコントローラブルな部分がなければやっていけない。
私はつか氏のエッセイのファンであり、そのほとんどに目を通してきたが、
およそ他のどんな演劇人よりも、その主張が強烈であった。

ある売れっ子役者に対し、
「こいつは米の飯を食うようになってからダメになった」
という表現で批判したのを目にしたことがある。今日びアワやヒエを
食っている役者もおるまいが、つまりは一般社会での栄華を求めるように
なったということだろう。そう言えば、当時流行り始めた“男の料理”にも
つか氏は嫌悪感を表明し、男なら焼肉屋で割り箸をチャッチャッ、と
こすり合わせながら
「おばちゃん、ロースとカルビ二人前ずつね!」
と頼め、と強弁していた。ちなみに、私の家は両親が朝鮮料理嫌いだった
ので、高校生まで私は焼肉屋に入ったことがなかった。つか氏のこの
エッセイを読んで奮い立ち、初めて焼肉屋に足を踏み入れてそれから
大の焼肉ファンになった。……そんなことはどうでもいいが、要は
家庭という小さなワクに(演劇人は)はまるな、と言っていたわけで、
つか氏の当時(直木賞受賞前後)の発言は、全て主語を“演劇人は”に
置き換えて読む必要があったと思う。

最初、直木賞候補になって落選したとき、候補たちの、結果までの
日常をドキュメントしたテレビ番組があった。結局、その時は受賞作なし
だったのだが、他の候補が落選の弁で“賞ってなんだろう”とか、文学論めいた
ものを語っていたとき、彼だけは
「賞取ったら外車買ってやろうと思ってね、販売店行って、“あれがいいん
じゃないか”とか品定めしたりね。こう、さわったりなんかしてね(笑)」
と、徹底して通俗なことを言っていたのも、実に彼らしい“演技”だった。

熊谷直美と離婚したときの、理由を問われての台詞
「嫌いになったから。顔も見たくなくなった」
というあまりにダイレクトな発言も、そのような、世間のワクに
はまりたくないがゆえのものだったろうし、在日系文化人の中では
かなり早期にそのことをカミングアウトした(結婚式を民族衣装で
行なった)のも、多分にパフォーマンスであったと思う。
キリンビールのCMで“このCMに出た以上、私は生涯キリンビールしか
飲みません”と言い切ったのもつか氏らしかった。その後、ある
漫画家が
「ゴルフ場でつかこうへいがサントリービール飲んでた」
とバラしていたが、これは真に受ける方が野暮というもので。

韓国と日本の関係について発言を多くしていたようだが、
つかこうへいという人物を知っていると、あまり本気にとらえては馬鹿
を見るだろうな、と思えてしまい、真面目に見聞きはしていなかった。
その後『娘に語る祖国』を読んだら、国より個人、と書いてあって、
ああ、つかこうへいらしいな、と苦笑はしたが。

そこまで自分を“ツクル”と、日常は大変だろうな、と思う。
家庭では滅多にしゃべらぬ、暗いオトウサンだったらしいが、それも
当然で、エネルギーがそんなに続くものではない。しんどかったろうと
思う。

この人の舞台は基本的に“口立て”である。台本には単に流れが書いて
あるだけ。主要なセリフは稽古をしながらどんどん即興でつけていき、
それが決まれば台本に書き込む。役者が芝居に合わせるのでなく、
芝居の方で役者の個性に合わせていく。だから、舞台は出演俳優の
個性ひとつで成功もし、失敗もする。
「演出家というのは、役者が飛び上がったまま、しばらく宙で静止
できないかと本気で考える人種だ」
とある時言っていた。そんなことすら要求しかねないのだから、
世間の常識のワクの中に役者が収まるなど、許しがたいことだったろう。

嫌煙という世間の常識にも従わず、ヘビースモーカーであり続け、
62歳で早世。自我を押し通したことに関しては満足していたのではないか。
とはいえ、最後の芝居は稽古場の模様を映したビデオを病院で見ながらの
演出だったそうだ。口立ての神様としては、さぞまだるっこしい思いで
あったろう。成仏などせず、この世に迷って出てきて芝居を作ってほしい。
それが最も似合う人なのだから。
黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa