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2010年8月3日投稿
節を曲げなかった男 【訃報 梅棹忠夫】
7月3日死去。
ご他聞に漏れず『文明の生態史観』を、基礎教養として、脂汗を
流しながら読んだクチである。
和辻哲郎の『風土』には人生観が変わるほどのカルチャー・ショック
を受けたのだが、同じく環境文明論である『文明の生態史観』には
なぜかハマれず、読み終えるだけでえらい精神的重労働だったのを
覚えている。
文体が性に合わなかったのか、それともそこに、高度経済成長下の、
他のアジア諸国と日本は違うんだ、という妙なおごりみたいな意識を
感じ取ったせいか、とにもかくにも、梅棹先生は私にとって鬼門となった。
おまけにこの先生は頑固なローマ字論者だった。
日本が情報社会足り得ないのはタイプライターが使えない言語だからで、
カナタイプはひらがなとカタカナの使い分けができない。
日本語をすべからくローマ字表記にすべし、と論じて倦まなかった。
ワープロ時代になってさすがに節を曲げるかと思いきや、ワープロは
却って耳で聞き取りにくい漢語を使う率が高くなる、やはりタイプライター
でなくんば、と、失明も手伝って、ローマ字化論にかえって拍車が
かかった。2004年という時代にローマ字化推進の本を(編著では
あるが)出版している。
『文明の〜』があれほどもてはやされたのは、敗戦の焼け跡から復興し
経済的にやっと立ち直った日本人に、今度は思想的な“自分たちは正しい”
という裏付けが求められていた、そのニーズに見事に応えたという
ところがあるだろう。そして、その正しさとは何か、というと、
「西欧と同じ文化圏に、アジアでは日本だけがいる」
というものだった。そして、西欧の高度文明圏とさらに並び拮抗して
いくには、西欧と同じ情報社会のツール、すなわちアルファベットを
使用せざるべからず、という論調であった(少なくとも10代の私には
そう読めた)。
ユニクロなど、社内の常用語を英語にする、という会社なども出て
きている現在、その認識は間違っているどころか、先見の明と
言えるものなのかもしれない。また、なんだかんだ言いながらワープロを
ローマ字入力にしている私も、根はすでにローマ字使用者なのかも
しれない。
とはいえ、どこかに、日本という国が日本人のアイデンティティを
背負っている以上、捨ててはいけないものがあるはずと感じている身と
して、梅棹先生の論には賛同し切れぬ、大きな抵抗があることも
また事実なのである。
90歳。
晩年まで精力的に著作を発表していた。
と、いうか60代半ばで失明して、そこから亡くなるまで数十冊の
著作を口述筆記等で刊行している。そのバイタリティにはほとほと感服。
これぞ学者、という人ではあった。
黙祷。