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同人誌

2010年4月26日投稿

遅筆過ぎた男(訃報 井上ひさし)

私の一生のうちの三分の一は、この人の才能に驚いてばかりだった。
『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョこそ人生で最初に
「こういう人になりたいものだ」
とあこがれた人物だった。
『長靴をはいた猫』を観たときは、こういう映画を自分は作りたいんだ、
と真面目に思った。
『ブンとフン』を読んだときは、小説は真面目でなくてはいけない、という
概念をぶち壊された。
『表裏源内蛙合戦』を読んだ(戯曲集で)ときには、舞台というものは
ここまで楽しいものなのか、と思った。
『ムーミン』の主題歌を聞いたときには、あそこまで単純な歌詞をあそこ
まで技巧的に使う、そのテクニックに舌をまいた。
『薮原検校』を観た(舞台で)ときには、ここまでどろどろとした人間の
怨念を笑いで表現することが可能なのか、と驚いた。

井上ひさしの才能は本当に輝いていた。こういう人を天才と言うのだろう、
と素直に信じていた。

あれ? と思い始めたのは『四捨五入殺人事件』くらいからだっただろうか。
面白いことは面白いのだが、あまりに露骨に農家を国の政策の被害者という
神聖な立場に置き、無謬に彼らの行なうことを正当化しているその姿勢に
首をかしげざるを得なかった。そのちょっと前あたりから、氏は如実に、また急速に
反戦反核、反体制の典型的知識人へと傾斜していっていた。

反戦平和もいいだろうが、彼の説く平和理論はあまりに理想的に過ぎ、
また原理的に過ぎて、ツッコミを入れるというより先に論理が破綻しており、
こういうことに関して書くとき、この人は理性というものが働かなくなる
のではないか、とさえ思わせた。
北朝鮮への経済制裁にも真っ先かけて反対を唱えていた。かの国が農本主義
の国だからだろう。

そして、そのあたりから、彼の書く作品は首をかしげざるを得ない
ものが多くなっていった。
平行して、彼の遅筆は加速され、書けないいらつきを家庭内暴力
で発散させるようになり、妻や娘たちにも背かれていった。
『圓生と志ん生』は、満州に渡った昭和の落語の二大名人を主役に据える
という素晴らしいアイデアをさっぱり活かしていない凡作で、
しかも、新聞の批評に“落語の知識がない”とけなされたことをよほど腹に
据えかねたのか、単行本のあとがきに、それへの反論“のみ”を激語で書き
つけるという異常ささえ見せていた。

僕の、あのあこがれの作家だった井上ひさしはどこに行ってしまったんだ、
とずっと思ってきた。好きだったから、ずっと読み続けてはいたけれど、
読み続けること自体が苦痛になってきていたのがこの十年の年月だった。

4月9日死去、75際。
75という享年はいかにも若い。しかし、何か訃報を聞いて、
ホッとしてしまった、というのが正直なところなのが
悲しくてたまらない。

井上ひさし関係の作品でベストを一作上げれば、必ずしも傑作では
ないけれど、甘くほろ苦い青春時代を描いた『青葉繁れる』を
あげたい。岡本喜八の映画化作品がまた、テンポよくこの作品をまとめて
映像化していて、佳作という言葉がにあう、素晴らしいものだった。

冥福を祈る、とはクリスチャンである氏に使うのは適当でない言葉かも
しれないが、今はただ、あの世で政治や戦争のことは頭から洗い流し、
あの才知の冴え渡った初期脚本の輝きをまた取り戻して欲しい、と
切に祈るものである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa