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2009年7月6日投稿
志水一夫さんが亡くなりました
作家、科学解説家、と学会創設会員の志水一夫氏、
7月3日死去、享年55歳。
本人がガンで入院します、と自分のブログに書き込んでから、
一ヶ月ちょっとという短期間での死でした。
彼が山本弘と藤倉珊の2人の、それぞれの同人誌を読んで引き合わせた
ことで歴史的な化学反応が起り、と学会の創設につながったというのは
ご本人もあちこちで書いていて有名なエピソードですが、
つまりは、私のモノカキとしての運命を大きく変えた人物でした。
と学会としてのつきあいは17年が限りとなりましたが、
もちろん、読者として、SFファンとしてその名を仰いでいたのは
30年も前からになります。
ロリコン同人誌評論家「原丸太」という筆名でも業界の
大先達で、それが志水一夫と同一人物と知ったときは驚愕
したものでした。
まさか、その当人と十数年後に同じ釜の飯を食い、共著を出すことに
なろうとは思いもよりませんでしたが。
彼の深い包容力と温かい人柄、育ちの良さからくる(傍から見ると)
いらいらするほどの悠長さ、大人的人格のなすところの、あふれるほどの
親切心に触れた思い出はつきないけれど、それを語るにはまだ心の整理が
ついていません。
ここでは文筆家としての志水一夫について語らせてもらいます。
モノカキとしての彼のスタンスをお手本にしたところがあって、
それは正当な資料ばかりでなく、雑誌のインタビューでの発言や
小さなゴシップなど、アカデミズム系の人が省みない通俗雑誌など
の小さな記事を丹念に記憶し、傍証に使うというやり方でした。
これをすると、実証性にはやや欠ける原稿になるものの、記事が
大変具体的なイメージを持って血肉を有し、動き出します。
「たとえばUFOが好きな子供が僕の本を買って読んで、家に置いて
おいたらお父さんがたまたまそれを読んで、“ほう、UFOって
ものも案外面白い”と思ってもらえるよう原稿を書く」
と以前聞いて、ああ、これは開拓者の言葉だ、と思ったものでした。
記事に多少の誇張や偏頗な記述はあっても、まず、世間の目を
引かないと、そもそもこういう分野の本が出なくなる。
志水氏の発言には常にそのような意識があったように思います。
ジャンルが確立し、成熟してから参入し、そのような事象に
ついて語ることが当然のように思っている人たちには、
志水さんの文章は枝葉末節の部分が多過ぎて読みにくいと
思われたかもしれません。
しかし、ジャンルの草創期において、このように多方面に
フックを作っておくことは極めて必要なことだったのですね。
UFO、超能力、そしてロリコンといった、一般的には
“いかがわしい“と思われていたものを、きちんと評論の
対象となるジャンルとして、生き生きとしたイメージと共に
表舞台に引きだし、心ある人々の注目を浴びるものへとした
その功績は計り知れないと思っています。
と学会が行った活動は結局志水氏の活動の、ほんの一部分を大きく、
ちょっと子供っぽく拡大しただけのものに過ぎないのではないか、
と最近思っていたところでありました。
彼を評価するには、モンティ・パイソン・グループのジョン・
クリーズが、先駆者のコメディアン、スパイク・ミリガンの功績を
讚えて言った台詞を、そのまま名前のみを変えて引用するのが
最も適しているような気がします。
「志水一夫が、われわれの先を、それもわれわれが思っていたより
はるかに遠くまで、切り開いていてくれたのだ」
“同志”の死に、万斛の涙をのんで、黙祷を捧げたいと思います。